【海賊版】民衆法廷の根拠

毎日、国会周辺で行われている抗議要請行動を考えるために、参加者たちへの応援として、さらに、首都圏反原発連合有志に対する批判の参考として、写経。



原子力発電所を問う民衆法廷 決定第1号『民衆法廷とは何であり、なぜ、何を裁くのか/本法廷の性格と任務』【2012/02/25】より抜粋


6: 民衆法廷の思想的根拠について、裁判長サルトルは次のように述べている。

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ラッセル法廷』は、この二重の矛盾した確認から生まれました。ニュルンベルクの判決は、戦争犯罪について調査するための、また必要ならそれを裁くための、制度機構の存在を不可欠のものとした。にもかかわらず、どの国の政府も人民もそれを創りだす力を持っていないという現状、この二重の確認からです。われわれは、誰からも委任されはしなかったのだということをはっきりと自覚しています。それなのに集まろうと提唱したのは、誰もわれわれに委任することなど出来ないのだということも知っていたからです。なるほど、われわれの『法廷』は制度機構ではない。が、だからといって、制度化されたどのような権限にもとってかわるものではない。それどころか、それは、ある空白とある請求に由来するものなのです。われわれは、諸政府によって集められた現実の権限を付与されたわけではない。しかし、さきほど見たように、ニュルンベルクでのこの権限付与は、異論の余地ない正当性を司法官にあたえるに十分ではなかったのです。『ラッセル法廷』は、これに反して、みずからの正当性は、その完全な無力に、と同時に、その普遍性に起因するのだ、と考えています。


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7: 民衆法廷にはいかなる実力もない。民衆法廷にはいかなる権威もない。誰からも授権されていない。しかし、この無力と無権威こそ民衆法廷の真義であることを、サルトルは最初から見抜いて、宣言していた。

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われわれは、無力です。これがわれわれの独立の保証なのです。われわれをたすけてくれるものはなにもありません、われわれ自身と同じように私人の集まりである支援諸組織の協力をのぞいては。われわれは、政府代表でも党代表でもないので、命令を受けることなどできない。われわれは、いわゆる≪良心にしたがって≫、あるいは、そう言ったほうがよければ、精神のまったき自由において、事実を検討するでしょう。




しかしながら、公正で普遍的であろうとするわれわれの意志がどれほどのものであろうと、それがわれわれの企てを正当化するに十分でないことを、われわれはよく自覚しています。われわれがまさしく望んでいるのは、その正当化が、あとからふりかえって、あるいは、そう言ったほうがよければ、ア ポステリオリに、得られることなのです。事実、われわれが仕事をしているのは、われわれ自身のためにでもなければ単に真相を知るためでもないので、われわれは、われわれの結論を青天の霹靂のように押し付けようなどとは、もうとう、思っていない。まさしく、われわれは願っているのです。世界のあらゆるところでベトナムの悲劇を苦痛をもって生きている大衆とわれわれとのあいだに、報道陣の協力を得て、恒常的な接触を保てればよいが、と。




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【出典】 『原発を問う民衆法廷実行委員会編/原発民衆法廷(1)/福島事故は犯罪だ! 東電、政府の刑事責任を問う』(さんいちブックレット001 三一書房 2012/04/23)