山田實,金城棟永『沖縄の記憶 オキナワ記録写真集 1953-1972』写真一覧


■【p.135 1963年 那覇市久米/金城 当時,沖縄では個人タクシーが認めれていなかった. 春闘に合わせて,琉球政府公務交通局に即時個人タクシーを与えるよう要求している】タクシーに貼られた訴え【タクシーの個人一台一免許を即時与えよ/タクシー労組/同志組合/共斗】【タクシー労働者の時給を30$に引上げ政府勧告を即時完全実施せよ/タクシー労組/同志組合/共斗】


□【p. 1962 キャラウェイ高等弁務官/山田 高等弁務官は沖縄統治の最高責任者で住民に対して絶大な権力を誇った. これは航空ショーで部隊が開放された時に撮影した一枚】


■【p.137右上 1963年 那覇市泉崎/金城


■【p.137左上 1963年 那覇市泉崎/金城


■【p.137左下 1963年 那覇市泉崎/金城 復帰運動が高まり始めた頃,琉球立法政府は教職員と公務員の政治活動の自由を制限するための法案,教公二法の制定が予定された日,朝早く労働組合員が立法院を占拠し[*1]法案阻止に立ち上がった】


■【p.137右下 1960 国際通り/山田 第5回メーデーを見る瀬長亀次郎氏. 米軍統治下の沖縄を代表する政治家の一人. 反対基地・人権運動に身をおき,軍政府の圧力にも屈せず一貫した主義主張を唱えた】[*2]


■【p.138上 1971年/山田 1970年前後,反米,基地闘争にゼネストと本土復帰を前にして,社会は騒然とした様相が続いた】


■【p.138下右 1971年/山田 [説明文無し]】(5人の機動隊員の楯が並ぶ,後方,横断陸橋に野次馬が溢れている)


■【p.138下左 1971年/山田 [説明文無し]】(デモ隊,横に8人並び,歩道に野次馬が溢れている)横断幕【教え子をふたたび戦場に送るな/自衛隊の配備と募集に反対しよう/沖縄県高教組】(揃いの鉢巻き【団結】,幟【…反対】,日の丸無し)


■【p.139上 1971年/山田 牧港米軍基地前にてデモ隊と機動隊とが衝突】(フェンス向こうの野次馬=米兵士と家族)手前に旗と横断幕,日章旗無し


■【p.139下 1971年/山田】(フェンス向こうのMP)


■【p.140上】(横断陸橋に野次馬が溢れている)


■【p.140下右】(横に10人並び,横断幕)【自衛隊…/沖縄処分抗議-佐藤内閣打倒5.15県民大行進】【沖縄協定の侵略…】旗【社会大衆党


■【p.140下左 1972/5/15 本土復帰の日は朝から激しい雨が降っていた. 革新議員を先頭に長いデモ隊の列が続いた】(横に5人並び)横断幕【…戦争はいや!自衛隊はいらない/民主県政で平和な沖縄を/新日本婦人の会



*1://

*2:新崎盛暉『沖縄同時代史●1962〜1972 未完の沖縄闘争』p.16 人民党の瀬長亀次郎は,54年10月の人民党弾圧事件まで,立法院議員であった. 57年那覇市長になった瀬長を追放するための布令改正で被選挙権を剥奪されたが,後に,民衆の権利闘争の高揚のなかで被選挙権剥奪条項が廃止され,68年11月の第8回立法院議員選挙で立法院議員に返り咲く. 70年10月,国政参加選挙出馬のため辞職