水野廣徳 大国民たれ


水野廣徳 大国民たれ【初出:『雄弁』1923/11月号 出典:琴秉洞[クムピョンドン]編/解説『関東大震災朝鮮人虐殺問題関係史料3 朝鮮人虐殺に関する知識人の反応1』(緑蔭書房 1996/04/30)p172-173】

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先般関東地方に突発したる大地震の為めに我国の被りたる直接損害は百億円を下らずと評価されて居る. 百億円と云へば実に日本国富の一割以上に達するのである. 欧洲戦争に於いて英国の消費したる直接戦費は約七百億であつた. 而して英国の国富は日本に六倍乃至七倍せるが故に,今回我が国の受けた損害は欧洲戦争に依つて英国の被つた損害と略ぼ同一の比率である. しかも英国は五箇年の長日月間に徐々に消費したのみならず,其の一部分は戦後に利用し得たのであるが,我国は僅に一二昼夜の間に,元も子も無く煙と灰とに化して仕舞つたのである. 此意味に於て我が国は,欧洲戦争に依つて英国が被つた損害よりも,ヨリ烈しき,ヨリ大なる災害を受けたのである. 其の関係する処決して関東地方に於ける罹災者のみではない.



併し物質上の損害は如何に大なるも,国民にして発奮努力すれば五年十年にして之を回復することも出来るであらう. 或は又之が改善の動機となり,却つて禍を転じて福と為すことも出来るかも知れぬ. 然るに物質の損害よりも尚ほ一層大にして尚ほ一層惜しむべきものは精神的の損害である. 過般の大震災に関連して起りたる「鮮人騒ぎ」こそは,我国民性の短所欠点をば赤裸々に暴露したるもので,我国に取りては容易に回復し難き大損失である. 跡方もなき流言蜚語に惑はされ,嚇かされて,正気を失ひ,常軌を逸したる軽率短慮粗暴残忍の行為は,到底腹力のある大国民の所業とは思はれない. 感情に血迷つて道理を判断し得ざる国民性の欠陥が,不意に行はれたる天の試験に依つて醜くも暴き出されたのである.



広き東京市の内外に散在せる僅に五千か六千の朝鮮人の影に脅かされて,東京二百五十万の市民のみならず,震災を蒙むらざる近県の住民までが,アノ大騒動,アノ大暴行を働きたるは何と云ふ見苦しき情けなきことであらう,殊に暴行者中には多数の在郷軍人さへも混つて居た様であるが,彼等は軍隊に於て如何なる精神教育を受けたのであらう. 軍人精神とはモツト落付のある,底力のあるものでなければならない. 流言蜚語に魂を奪われて無抵抗の避難民を虐殺したり,愛国の為に隠れてドサクサ紛れに女子供を瞞殺するなどは,偽尚武心,偽愛国心の最も恥づべき行為である. 真の武士道や大和魂なるものは,そんな御粗末なものではない筈である.



我国が物質的に貧弱なることは世界に公知せられたる国家の大弱点である. 然るに今回の震災に依つて更に我が国民の精神的弱点までも暴露せられた. 天の作せる禍は尚ほ免るべし,自ら為せる禍は避くべからずで,震災に由る物質の損害は天の作せる禍であるが,鮮人騒に暴露したる精神的損害は国民自ら求めたる禍である.



世界の競走場裡に立つて雄を唱へんとする我が日本国民たるものは,モツト腹の底に力のある大国民の度量を養へ!



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