いつの間に夜の省線に貼られたる軍のガリ版を青年が剥ぐ(近藤芳美『埃吹く街』1948年)

各新聞の訃報記事*1


日経新聞
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近藤芳美氏が死去・戦後の代表的歌人 http://www.nikkei.co.jp/news/main/20060621AT1G2103C21062006.html


戦後の代表的歌人文化功労者の近藤芳美(こんどう・よしみ, 本名=芽美=よしみ)氏が21日午前10時1分, 心不全のため東京都世田谷区の病院で死去した. 93歳だった. しのぶ会を行うが, 日取りなどは未定.


旧制高校時代に歌人の中村憲吉に出会い, 「アララギ」の同人になる. 上京後, 歌人土屋文明に師事. 東工大建築学科卒業後, 建設会社に勤務する傍ら, 作歌活動を続けた.


1948年に刊行した歌集「早春歌」と「埃(ほこり)吹く街」で戦後歌壇の旗手として脚光を浴びた. 51年, 歌誌「未来」を創刊. 戦争体験を基に戦後の現実に鋭く向き合う歌を作り続けた. 岡井隆, 道浦母都子, 大島史洋の各氏ら現代を代表する歌人を数多く育てた.


代表歌に

    ものぐらく人行く上に降(ふ)りて居る
    鉄切断の音無き火花
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讀賣新聞
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戦後歌壇に指針, 歌人文化功労者の近藤芳美氏死去 http://www.yomiuri.co.jp/national/culture/news/20060621i514.htm

戦後歌壇のリーダー的存在で文化功労者の近藤芳美(こんどう・よしみ, 本名・芽美=よしみ)氏が21日午前10時1分, 心不全で死去した.


93歳. 告別式は親族のみで行い後日, しのぶ会を開く. 喪主は妻で歌人のとし子(本名・年子)さん.


朝鮮半島生まれ. 土屋文明らに師事し1947年に新歌人集団を結成, 歌集「早春歌」などで注目された. 評論「新しき短歌の規定」の中で桑原武夫の「第二芸術論」など否定論に<新しい歌とは今日有用の歌の事>と, 戦後歌壇に指針を示した.


    いつの間に夜の省線にはられたる
    軍のガリ版を青年が剥ぐ
や恋愛歌
    たちまちに君の姿を霧とざし
    或る楽章をわれは思ひき
などが愛唱された. 朝鮮戦争への危機意識など社会詠, 思想詠も多い.


51年, 岡井隆氏らと歌誌「未来」を創刊. 2001年まで主宰を務めた. 55年から昨年まで「朝日歌壇」選者. 現代歌人協会理事長を長く務めた. 69年「黒豹」で迢空賞, 86年「祈念に」で詩歌文学館賞. 96年に文化功労者.(2006年6月21日23時14分 読売新聞)
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東京新聞/共同
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近藤芳美氏が死去 歌人, 文化功労者 http://www.tokyo-np.co.jp/flash/2006062101003731.html


戦後の代表的歌人文化功労者の近藤芳美(本名芽美)氏が21日午前10時1分, 心不全のため東京都世田谷区の至誠会第二病院で死去した. 93歳. 旧朝鮮生まれ. 葬儀・告別式は故人の遺志により近親者のみの密葬で行う. 喪主は歌人の妻とし子さん. 後日, 未来短歌会の主催で「近藤芳美をしのぶ会」を開く予定.


東京工大卒. 旧制広島高校時代に「アララギ」に入り中村憲吉, 土屋文明に師事した. 1947年「新歌人集団」を結成. 51年に歌誌「未来」を創刊した.


代表歌に

    たちまちに君の姿を霧とざし
    或る楽章をわれは思ひき
    50年ついに国是とし戦わず
    人間の歴史に静かに思え
など.(共同)
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産経新聞
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近藤芳美氏が死去 戦後歌壇リード, 文化功労者 93歳 http://www.sankei.co.jp/news/060622/bun003.htm


戦後歌壇を牽引(けんいん)した歌人文化功労者の近藤芳美(こんどう・よしみ, 本名・芽美=よしみ)氏が21日, 心不全のため死去した. 93歳. 故人の遺志により, 葬儀・告別式は親族のみで行い, 後日, 主宰していた未来短歌会主催で「しのぶ会」を開く予定. 喪主は妻で歌人, とし子さん.


旧制広島高校在学中に歌人の中村憲吉と出会い, 歌誌「アララギ」に入会する. 昭和23年に歌集「早春歌」「埃吹く街」を刊行, 戦後派の歌人として注目された. 26年には歌誌「未来」を創刊し, 主宰. 44年に歌集「黒豹」で迢空賞, 平成7年に「希求」で斎藤茂吉短歌文学賞を受賞した. 時代の制約の中でしか生きられない人間の良心と運命を主題に, 率直な言葉で新境地を開いた. 現代歌人協会理事長として歌壇の発展にも尽力し, 神奈川大教授も務めた. 8年に文化功労者. (06/22 01:29)
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朝日新聞
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平和への希求つらぬく 歌人の近藤芳美さん死去(2006年06月21日22時13分) http://book.asahi.com/news/TKY200606210525.html

戦後短歌を担い, 朝日歌壇選者を50年近く務めた, 文化功労者の近藤芳美(こんどう・よしみ, 本名・芽美=よしみ)さんが21日午前10時1分, 心不全で, 東京都内の病院で死去した. 93歳だった. 葬儀は親族で行い, 後日, しのぶ会を開く. 喪主は妻で歌人の年子さん.


旧制広島高校在学中に歌人中村憲吉に出会い, 「アララギ」に入会. 戦後, 「新歌人集団」に参加した. 48年刊行の第1歌集「早春歌」は暗い時代の清純な相聞が新鮮な感動を呼び, 同じ年の歌集「埃吹く街」とあわせて戦後派を代表する歌人として注目された.


51年, 歌誌「未来」を創刊し, 第一線で活躍する歌人を数多く育てた. 朝日歌壇で55年から半世紀目前の05年1月まで選者を務め, 庶民による「無名者の歌」を積極的に評価, 世の関心を高めた. 77〜91年, 現代歌人協会理事長.
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毎日新聞
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訃報:近藤芳美さん93歳=歌人 http://www.mainichi-msn.co.jp/shakai/fu/news/20060622k0000m060134000c.html

歴史と時代を問いつつ, 都市生活者の苦悩を歌い続けた戦後歌壇を代表する歌人, 近藤芳美(こんどう・よしみ<本名>芽美=よしみ)さんが21日午前10時1分, 前立腺がんのため病院で死去した. 93歳. 葬儀は遺志により近親者のみで行う. 後日, しのぶ会を開く予定. 自宅は非公表. 喪主は妻で歌人のとし子(トシコ)さん.


父の任地の旧朝鮮馬山(現韓国慶尚南道)で生まれ, 広島市で育った. 東京工大卒業後, 建築技師を務めた. 中学時代から短歌に親しみ1932年, 歌誌「アララギ」に入会し中村憲吉, 土屋文明に師事した. 戦時中は中国の前線に召集されたが47年, 加藤克巳, 宮柊二らの若手歌人と「新歌人集団」を結成するとともに, 評論「新しき短歌の規定」を発表し, 第二芸術論などで揺れる戦後歌壇に新風を吹き込んだ.


48年に歌集『早春歌』と『埃吹く街』を続けて刊行, 戦後派を代表する歌人として注目された. 戦争体験とその傷跡に根ざした目で敗戦間もない都市生活者の苦悩と孤独を歌い, その後も清新な叙情に裏付けられながら, 思想を生活に引きつけ, 平和への希求を基底にした歴史意識で一貫した作品を発表. 歌集「黒豹」(68年)で迢空賞, 「祈念に」(85年)で詩歌文学館賞, 「営為」(90年)で現代短歌大賞, 「希求」(94年)で斎藤茂吉短歌文学賞を受賞した.


51年に歌誌「未来」を創刊し, 編集発行人を務め, 岡井隆氏とともに多くの若手歌人を育成. 現代歌人協会の設立にかかわり長年理事長を務め, 現代歌壇をリードした. 98年, 文化功労者. 妻のとし子さんも歌人として知られ, 妻への愛を歌った清純な作品は晩年も変わらず, 多くの読者を魅了した. 【酒井佐忠】毎日新聞 2006年6月21日 22時35分


近藤芳美さん死去:平和の希求基底に http://www.mainichi-msn.co.jp/shakai/wadai/news/20060622ddm041040135000c.html

    世をあげし思想の中にまもり来て
    今こそ戦争を憎む心よ

戦後の歌壇をリードした歌人, 近藤芳美さんが21日, 死去した. 戦時中, 中国の前線に召集された体験に根ざした目で, 戦後の日本人のありようを歌い, 同時代の人々の共感を得た. このころの歌に

    世をあげし思想の中にまもり来て
    今こそ戦争を憎む心よ
    いつの間に夜の省線にはられたる
    軍のガリ版を青年が剥(は)ぐ
などがある.


その後も, 思想を生活に引きつけ, 平和の希求を基底に, 一貫して歴史を深く意識した作品を発表し続けた. それは時代ときっ抗する清新な叙情をもたらした.


妻のとし子さんも歌人として知られ, 妻への愛を歌ったみずみずしい作風は晩年も変わらず, 多くの読者を魅了した. 長年, 現代歌人協会理事長を務め, 後進の指導にも取り組み, 多くの若手歌人を育成した. 近年は前立腺がんのため, 入退院を繰り返していた.


◇戦後歌人の指標に−−歌人・篠弘さんの話

戦争の世紀である20世紀後半を代表する歌人. 戦中の暗い青春の中で作りためた愛の歌「早春歌」と, 戦後いち早く知識人として日本の将来を考えた「埃吹く街」が大きい. 近藤さんの存在は後に続く歌人たちの一つの指標となった. その作品から, 現代短歌における思想の表現とは何か, と考えさせられる.


◇詩の根本教わる−−歌人加藤治郎さんの話

歌会で直接指導を受けたことがあるが, 詩とは何かという根本を教わりました. 生き方と社会と短歌の三つが一体にならないといけない, どの一つが欠けても真のリアリズムは成り立たないと言われました. これが近藤さんからバトンタッチされた考えです. 毎日新聞 2006年6月22日 東京朝刊
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*1:みつければ追加更新予定