東京日日新聞『百人斬り』第5報

小野賢二 編・解説【資料紹介】"報道された無数の「百人斬り」" に写真複写で紹介されている 1938 1939年5月19日記事 *1

戦死した競争相手に
孫六』手向けの斬れ味
M中尉 漢水戦線にあり


漢水東方地区にて18日 西元特派員発】わが木村,恒廣,中西の諸部隊が炎熱百度を超えクリークの水も沸く物すごい暑さの中を湖北平原の山岳地帯に堅固な陣地を築いてゐた敵将張自忠■下の敵兵十数個師を包囲攻撃中これに従軍した記者はある日寺荘といふ小部落で奮戦中のM中尉とひよつこり出会った


同中尉は一昨年南京戦の折戦友のN中尉と百人斬を約して愛刀関孫六で敵兵107人を切り殺した勇敢な青年将校である, 南京戦後長く伸びた髯を落として戦友N中尉と更に五百人斬りを約し徐州,大別山,漢口,■■と各地に転戦,敵兵305人を斬つたがN中尉が海南島において戦死し今は一人で約束の五百人斬りを果たすために奮戦してゐる


実はM中尉の念願は千人斬りださうで記者が「孫六は斬れますか」とはなしかけると朴訥な中尉は次の如く語つた


「よく斬れます, ちょっと剣先がひつかかりますが自信を持つてゐるから大丈夫です, 出征以来病気もせずいつも第一線に立つて負傷せず不思議なやうです, 長期戦に耐え得るやうに体が出来てゐるのでせう, ただ部下を死なして申訳ないと思つてゐます それだけが残念です, 遺族の方々には悔やみの手紙を出したのみで千人斬りがやれないので残念だ私はN中尉と別れてから一人で約束の五百人斬りを果たすため一生懸命やつてゐます, 今日まで305人斬りました, 部隊長が槍をもつてをられるので負けないやうに奮闘する決心です


[写真説明]写真は一昨年南京戦線に於ける百人斬り競争当時の(右)故N中尉と(左)M中尉

【日本の戦争責任資料センター『季刊戦争責任研究』第50号2005年冬号 p.83 太字強調は引用者による *2

*1:誤記訂正 2006/05/29

*2:第5報記事 2006/05/28追記 もちろんN,Mは記事中で実名