渡部昇一の架空日本史を検討する

「日本悪し」という歴史観というのは, 戦前の共産党のものです. 彼らは皇室を滅ぼせというのだから, 弾圧は厳しかった. 日本政府としては, 天皇や皇室をまるでロシア帝室のように, 弑虐させるように煽動する少数の過激派を許すわけにはいかない. だから治安維持法を制定したわけです. 念のためにいえば, 治安維持法によって死刑になった人はいません. 警察の中で死んだ人は何人かいますけれど. 一方, 共産党員によって死傷した警官は数十名になります.

戦前の治安維持法によって共産党は弾圧されました. 弾圧しなければ, それは政府の怠慢です. 当時の秩序を破壊し, 皇室までを抹殺せよと言ってる連中が共産党なんですからね.

ところが, 終戦後, 占領軍の方針もあるんですが, 左翼史観がさしたる抵抗もなく, 日本のジャーナリズム界やアカデミズムの現場に浸透していってしまったんです. 共産党は, その党勢がいちばん盛んだったときでも, 党員は600人[ママ]は越えていません. そのたった600人の「日本悪しかれ」史観が, この国を支配してしまった. 【『WILL』2005/4月号 総力特集84ページ 朝日新聞を裁く 「信念で始まる朝日新聞への疑念」渡部昇一 上智大学名誉教授 p.35】

[1] ≪治安維持法によって死刑になった人はいません≫について

奥平康弘 編・解説『現代史資料 45 治安維持法』(みすず書房 1973/08 付録月報は今井清一,山辺健太郎)資料解説 p.ix に次のような記述をみつけた. 治安維持法改正[1928年=昭和03年]の2点の解説への注記に

「国体変革」の罪に厳罰をもってのぞむことにしたことが, 一般市民に与えたイデオロギー効果として大きいことは否定できない. 他方しかし, 法の実践面では周知のように少なくも国内では, 治安維持法のみをもって死刑に処せられた者も, 死刑の宣告がなされた例も, 存在しないことに注意したい

治安維持法関係被告の場合, 中西功への死刑求刑(1945/09/11), 無期懲役判決(1945/09/28) 【中西功『死の壁の中から』(岩波新書 旧青787 1971/05/31初版) I この手紙を世に出すにあたって/釈放 p.45】のような例はあるものの, 法の実践面では, かつ, 国内では, かつ, 治安維持法のみをもって, 死刑に処せられた者も, 死刑の宣告がなされた例も 存在しない と 理解しておこう.

渡部せんせが≪治安維持法によって死刑になった人はいません≫を枕詞にしておっしゃりたいのは ≪警察の中で死んだ人は何人かいますけれど≫ と

特高政治の犠牲者 (治安維持法犠牲者)

  • 明らかな虐殺死 80人
  • 拷問・虐待が原因で獄死 114人
  • 病気その他の理由による獄死 1,503人
  • 逮捕後の送検者数 75,681人
  • 未送検者数 数十万人
           (国家賠償要求同盟の資料による)


を隠蔽し, 虐殺・獄死の責任者を隠蔽することである以上, ≪治安維持法によって死刑になった人≫の解釈論議に付き合うことは, ≪隠蔽≫のお手伝いをするだけとなる危険があるだろう. もちろん, 治安維持法/体制の実態・動態を リアルに知るには 奥平先生の解説を鵜呑みにするだけでは不充分であることを自覚しつつ.

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[2] ≪天皇や皇室をまるでロシア帝室のように, 弑虐させるように煽動する少数の過激派を許すわけにはいかない. だから治安維持法を制定したわけです≫について

≪国体≫を戦後の≪明るい皇室≫≪愛される皇室≫かのように理解しておられるらしき不敬きわまりない渡部せんせ, 治安維持法制定【1925年=大正14年】当時の ≪少数の過激派≫ってなんですか?



治安維持法制定当時の共産党の実状 手作り初期日本共産党クロニクル


=== 作成中 ===


== 作成にあたって参照している文献 ==


日本共産党発行の公式党史はもっていないので使わない.

『戦前日本共産党幹部著作集 渡辺政之輔集』(新日本出版社 1986/07/25) 解説(荒掘広)

遠山茂樹・牧瀬恒二・犬丸義一・藤井忠俊 編 『山辺健太郎 回想と遺文』(みすず書房 1980/04/16)

山辺健太郎コミンテルンの歴史』(新興出版社 1949/08/05)

荒畑寒村共産党をめぐる人々』(アテネ文庫 99 弘文堂 1950/02/15)

潮見俊隆『治安維持法』(岩波新書 黄22 1977/09/22)

松尾洋『治安維持法特高警察』(教育社歴史新書 日本史130 1979/04 初版 1982/02 3刷)

萩野富士夫『思想検事』(岩波新書 新赤689 2000/09/20)



結論は 治安維持法ができた 1925年[治安維持法衆議院提出 1925/02/18 公布 1925/04/22]当時, 日本共産党は存在しなかった[1924/05 解党決議 -- 1925/08 中央ビューロー再建] となりそう. 2月 のあとに 4月があって, そのさらにあと 8月に中央ビューロー再建ですから. 共産党の歴史に詳しい方からのご意見をいただけるとありがたいです.