治安維持法史料

駄文 id:s_kotake さんが宿題を手伝ってくださった. 多謝[*1],

id:s_kotake さん指摘の 大逆罪と治安維持法との関係, 日々是アンニュイ id:gkmond:20050301 での指摘, chomoの日記 2005/02/28 ■ [読書]思想検事(ISBN:4004306892) id:chomo:20050228 ≪ご承知のように治安維持法は1925年、普通選挙法と時期を同じく成立している。その対象はどんどん拡大解釈され戦前の暗黒時代を生み出したイメージがある。実際もそうなんだろうが但し、治安維持法は、1934、1935年と二度改正案が廃案になっている。≫ -- 支配層内部での対立の問題もあるのか -- 宿題は先が長い.

天皇や皇室をまるでロシア帝室のように, 弑虐させるように煽動する少数の過激派を許すわけにはいかない. だから治安維持法を制定したわけです. 【『WILL』2005/4月号 総力特集84ページ 朝日新聞を裁く 「信念で始まる朝日新聞への疑念」渡部昇一 上智大学名誉教授 p.35】

こういう 32テーゼ以降 講座派的とでも言うか, 天王星打倒=共産主義運動に単純化した左翼小児病的理解こそ『コミンテルン史観』ではないか 渡部せんせ.



id:s_kotake:20050303#p2 で紹介されている大原社研の史料.


法政大学大原社会問題研究所『日本労働年鑑 特集版 太平洋戦争下の労働運動』労働旬報社 1965/10/30 http://oohara.mt.tama.hosei.ac.jp/rn/senji2/index.html

目次

第四編 治安維持法と政治運動

第四章 ゾルゲ事件 第二節 判決とその後

事件の取調べは41年5月に予審に移され, ゾルゲと尾崎の予審は42年12月に終わり, 翌43年5月末に東京地裁の法廷で第一回公判が公開禁止ではじまった. 弁護にあたったのは官選弁護人一名だけであった. 尾崎の公判は超スピードで進められ, ひらかれた公判はわずか7回にすぎなかった. 9月には別掲のような判決が下された(小代以下の判決はそれぞれ数ヵ月おくれた. 宮城と河村は審理中に獄死した). ゾルゲ, 尾崎, クラウゼン, ヴケリッチの4名は国防保安法・軍機保護法・軍用資源秘密保護法・治安維持法違反であり, その他の者はこれらのうち一ないし三法の違反として処罰された. 大審院に上告した者もすべて弁論なしに検事の意見を聴いただけで戦時刑事特別法第29条によりその理由なしとして上告棄却された. ゾルゲの場合は上告趣意書が法定期間におくれたため, 44年1月に上告棄却となり, 尾崎は同年4月に上告棄却となっていずれも死刑が確定し, 同年11月7日, 二人は処刑された. ヴケリッチと水野と船越は終戦の年に獄中で病死し, 北林は釈放直後に死亡した.

前にもふれたように, ゾルゲは赤軍第四本部に所属しその指令を受けていたのであり, この組織がコミンテルンの指令にもとづく諜報組織であってコミンテルンの目的遂行に協力する意図で活動したとして処断することは事実に反することであったが, それは, 治安維持法で処罰の対象とする「国体を変革することを目的」とする結社というのは, 日本共産党コミンテルンについてはいえるにしても, ソ連赤軍をもそのような結社と見ることは不可能であったからであり, 戦時下における法の過大な類推解釈であったとみられる. 治維法違反とならず, 国防保安法・軍機保護法・軍用資源秘密保護法だけでは, 彼らを「利敵行為」として処断する根拠は薄くなるからであろう. また適用された国防保安法(41年5月施行)・軍機保護法(37年および41年改正)・軍用資源秘密保護法(39年施行)・治安維持法(41年3月改正)などの法律の該当項目は, ほとんど1937年以降に改正・追加されたものであるのに, たとえばゾルゲの犯罪事実には1930年以来の諸件がふくまれており, これら法律施行前の行為も「施行の後に為されたる爾余の所為とは, それぞれ包轄一罪の関係にあるを以って……各その所為の全部につき改正法を適用」(判決文)したのである. これは, 41年の治維法改正にあたって, 罰則の適用を犯罪時法によらず, 判決時法によることを付則第二項で規定したことによるものであり, 法施行以前の行為が法施行後の犯行と包轄一罪として処理されたことは, 戦時下において罪刑法定主義の原則が無視されていたことを示すものである.

  • リヒアルト・ゾルゲ 死刑 四四・一一・七執行
  • 尾崎 秀実 死刑 四四・一一・七執行
  • マックス・クラウゼン 終身 四五・一〇・九釈放
  • ブランコ・ド・ヴケリッチ 終身 四五・一・一三獄死(網走)
  • 小代好信 十五年 四五・一〇・八釈放
  • 田口右源太 十三年 四五・一〇・六釈放
  • 水野成 十三年 四五・ 三・二二獄死(仙台)
  • 山名正美 十二年 四五・一〇・七釈放
  • 船越寿雄 十年 四五・ 二・二七獄死
  • 川合貞吉 十年 四五・一〇・一〇釈放
  • 久津見房子 八年 四五・一〇・八釈放
  • 秋山幸治 七年 四五・一〇・一〇釈放
  • 北林とも 五年 四五・ 二・九釈放直後死亡
  • アンナ・クラウゼン 三年 四五・一〇釈放
  • 安田徳太郎 二年(執行猶予五年)
  • 西園寺公一 一年六ヵ月(執行猶予二年)
  • 菊池八郎 二年
  • 宮城与徳 公訴棄却 四三・ 八・二獄死(巣鴨
  • 河村好雄 公訴棄却 四二・一二・一五獄死(巣鴨

敗戦後四五年一〇月になって, 獄中の生存者八名は他の政治犯たちと一緒に釈放され, ながいあいだ国民の眼からとざされていた事件の内容がようやく明らかになりはじめた. ゾルゲ事件の関係資料は, 旧特高関係者にとっては公職追放の理由になるのでほとんど焼却ないし秘匿された. 「祖国を救うために命を賭けて行動した愛国者」尾崎秀美にたいしては一周忌につづいて追悼講演会が盛大に開催され, 彼の獄中書簡集「愛情はふる星のごとく」はベストセラーともなって広範な読者を獲得した.

マッカーサー占領軍司令部はゾルゲ事件生存者に関心をむけ, その態度はしだいに保護から看視にかわった. 【以下,省略 http://oohara.mt.tama.hosei.ac.jp/rn/senji2/rnsenji2-169.html

BGM: 武満徹編曲 インターナショナル http://mirukashihime.cool.ne.jp/sound/dodeska.mp3
【インターナショナル もろもろのもの http://www.geocities.co.jp/HeartLand-Namiki/3684/kaihou/inter.htm から】

*1:渡部昇一の「トンデモ」をもっともっと笑い飛ばしたいと思いますが……ということで本項続く予定