宇和島青年会議所 http://wwwi.netwave.or.jp/~mot-take/interest.htm > 我が子に伝える誇りある近代史 [南京事件の項抜粋] http://wwwi.netwave.or.jp/~mot-take/kindaishi.htm#3_3

10)いつから教科書に記述されるようになったのか

上杉千年氏によれば, 「南京事件」の初見は終戦後に使用された『時事問題』という教科書に認められたが, まもなく姿を消していったという. 昭和30年代に入ると, 戦前の日本の姿を暗黒に捉える歴史記述が社会科歴史の教科書に現れるようになり, その結果, 昭和33年, 43年と教科書の偏向の大本をただす意味での学習指導要領改訂が行われ, 少しずつ改善の方向に向かっていた. しかし「南京事件」の名称は, 昭和40年頃から再び教科書に登場するようになってきたらしい. そして, 昭和52年の学習指導要領で, これまでの改訂努力を一挙に崩すような改悪改訂が行われ, これを機に教科書も再び偏向の度を強めることになった. その後教科書「侵略」「進出」をめぐる大誤報事件(昭和57年6月26日)が起きて, 宮沢喜一官房長官が「政府の責任において, 近隣諸国の批判を受けた教科書の記述を是正する. 今後の教科書検定では, 検定基準を改め, 近隣諸国との友好, 親善が充分実現するように配慮する」という談話を発表し, 検定基準にいわゆる近隣諸国条項ができてから, 文部省の姿勢が180度転向してしまいました. 文部省は, 「南京事件」については, 原則として, 同事件が混乱の中で発生した旨の記述を求める検定意見を付さない」(昭和57年12月6日)という新方針を策定して以来, 南京事件については書き放題という状況になった. それ以前の記述は「ナンキン虐殺事件」(東京書籍中学 昭和56年度版)であったが, 「ナンキン大虐殺」(昭和59年度より)の記述になり「中国では, この殺害による犠牲者を, 戦死者も含め, 30万以上とみている」と書くまでに至った.

11)近隣諸国条項南京事件従軍慰安婦

近隣諸国条項について藤岡信勝氏はこう指摘している.

南京事件」や「慰安婦問題」などを書くように指定した記述は, 学習指導要領のどこにもない・・・しかし, ・・日教組支配の現場の社会科教師の意向に迎合して, 「慰安婦強制連行説」を教科書に書き込むなどのことをしてきた. ・・・教科書行政に対する中国・韓国による内政干渉事件を契機に, ・・検定基準のなかに全く異質で政治的な性格を持つ次の一項目が付け加えられた.

「近隣のアジア諸国との間の近現代の歴史的事象の扱いに国際理解と国際協調の見地から必要な配慮がなされていること」(強調・下線は筆者)

これが世に言う「近隣諸国条項」である. ・・・かりに近隣諸国条項が存続するもとでも, それは「まともな教科書」が誕生することの妨げにはならないということである. ・・近隣諸国条項があるために「南京事件」や「慰安婦問題」を書かなければならないと思いこんでいる人がいる. それは誤解である. ・・学習指導要領に根拠を持たない限り, 新たに何事かを「書かせる」ことはできないのである. たとえば近隣諸国を誹謗中傷するかのような記述は近隣諸国条項でチェックできるが, 近隣諸国条項を根拠に「南京大虐殺三十万人」説を教科書に書かせるなどと言うことは出来ない. この四月から, 平成十四年度に使用開始となる中学校用教科書の検定作業が始まる. 教科書改革のためには文部省における検定制度の適正な運用が第一の前提条件である. 』(産経新聞朝刊2月3日付).

南京事件は, 学術的に冷静に検証され, 議論されなければならない問題である. 教科書の記述は, 学術的でなければならない. 日本政府がサンフランシスコ講和条約南京大虐殺の判決を承諾しサイン(東京裁判の判決に政府として異議をたてない)したのは, 敗戦国としての外交, 政治的なものであった. 東京裁判をまともな「裁判」と仮定した場合にのみ, 法的制約を受けると思うが. 戦争にいつまで負けていればいい?