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明日への選択日本政策研究センター)平成15年7月号より

近隣諸国条項」はやはり放置できない
中国「侵略」だけでなく, 今では日清・日露も「侵略」と書く歴史教科書.
近隣諸国への配慮がかくも「自虐」記述を野放しにした.

この4月, 来春から使われる高校教科書の検定結果が発表された. 日本史, 世界史などの歴史教科書では, 相変わらず中韓両国の主張に迎合したような問題記述が多い. 例えば南京事件に関する「犠牲者30万人」説, 慰安婦に関する「強制連行」説などがその典型だ. 慰安婦「強制連行」説などはすでに破綻が明らかとなっており, 2年前から使われているほとんどの中学歴史教科書からは削除されたという経緯がある.

にもかかわらず, こうした明白な事実に反する記述, 根拠の不確かな記述が検定をパスしているわけだ. いったい, それはなぜなのか―.

端的に言えば, わが国の検定基準のなかに「近隣諸国条項」と称される規定があるからだ. 言うまでもなく「近隣諸国条項」は昭和57年にわが国と中韓両国との間で起こった教科書事件が発端となり, 検定基準のなかに追加された規定である. 要するに, 教科書の近現代史の記述に関して, 中韓などのアジア近隣諸国に配慮すべしというものだ.

この規定ができて以降, 片や教科書執筆者たちは中韓歴史認識を一斉に書き込みはじめ, 片や文部省はそうした記述に検定意見を付けなくなる. その結果, 「侵略」「虐殺」「強制連行」といった 中韓の主張がわが国の歴史教科書のなかに我が物顔でズカズカと入り込んでくることになったのだ.

そして今日, 「侵略」という言葉は近現代史を超えて, 近世や中世にも及ぶという何とも恐るべき傾向さえ生じている. このままでは, 日本の建国にまで遡る祖先の偉業に「侵略」の烙印が押されてしまうことにもなりかねない. そうなれば当然, ますます多くの子供たちが日本の歴史に愛想を尽かしてしまうだろう. 「近隣諸国条項」の弊害は余りにも根深い.

では一体, このように弊害の大きい検定基準はいかにして作られ, それはわが国の歴史教科書を具体的にいかに悪化させてきたのだろうか.

教科書事件の「禍根」

先にも触れたように, 「近隣諸国条項」は教科書事件を契機として作られた. そこでまず, この教科書事件から「近隣諸国条項」へと至る流れを急ぎ足で振り返ってみたい.

教科書事件の発端は, 昭和57年6月26日, 高校教科書の検定結果について, 日本の新聞が一斉に「日本軍の華北侵略が進出に書き換えさせられた」などと報じたことである. 例えば朝日は検定前後の記述を比較する表を掲げ, 「日本軍が華北を侵略すると…」が「日本軍が華北に進出すると…」に変わったと報じた. 毎日は「中国『侵略』は『進出』に」, 読売は「中国『侵略』でなく『進出』」と報じ, さらに産経は翌27日付で「中国侵略→進出」と報じた. 実はこれらは誤報だったことが, 後に判明する.

しかし, 誤報が判明する以前の7月20日, 中国の「人民日報」が日本批判の記事を掲載したのを皮切りに, 以降, 中国は国をあげての日本批判の大キャンペーンを展開する. 外交ルートでも同月26日, 中国政府は日本に抗議を申し入れてきた. 「日本の華北『侵略』を『進出』に書き換えた」など四点の検定結果について, 「歴史の事実が歪められている」「日中共同声明の精神に反する」などとして, 教科書記述の是正を求めてきたのである. また8月3日には, 韓国政府も検定結果への抗議と記述の是正を求めてきた.

以降, 日中間, 日韓間でさまざまな交渉が行われたが, 結局8月26日, 当時の鈴木内閣の宮沢官房長官は, ついに中韓両国の要求にほぼ全面的に屈服した形での「政治決着」を図る. それは次のような「談話」であった.

「日韓共同コミュニケ, 日中共同声明の精神はわが国の学校教育, 教科書の検定にあたっても, 当然, 尊重されるべきものであるが, 今日, 韓国, 中国等より, こうした点に関するわが国教科書の記述について批判が寄せられている. わが国としては, アジアの近隣諸国との友好, 親善を進める上でこれらの批判に十分に耳を傾け, 政府の責任において是正する」「このため, 今後の教科書検定に際しては, …検定基準を改め, 前記の趣旨が十分実現するよう配慮する」

つまり日本政府は, 中韓の求めに応じて教科書記述を「是正」するために, 検定基準の改正を約束したのである. この宮沢談話の具体化が「近隣諸国条項」にほかならない.

11月16日, この「談話」の約束を果たすべく, 文相の諮問機関「教科用図書検定調査審議会」は, 社会科の検定基準に近隣諸国との友好・親善に配慮した新たな一項目を設けるべきことなどを謳った答申を提出した. これに基づいて同月中に検定基準の改正が行なわれ, 後に「近隣諸国条項」と称される一項目が付け加えられることになる. それは次のような規定である.

「近隣のアジア諸国との間の近現代の歴史的事象の扱いに国際理解と国際協調の見地から必要な配慮がされていること」

教育内容の決定は重要な内政事項と言える. にもかかわらず, 教科書の検定に際して近隣諸国に「配慮」せよという何とも理解しがたい規定が作られてしまったわけである.

以降, この規定はわが国の教科書の大きな呪縛となる. 冒頭にも触れたように, 教科書会社は事実の客観性や教育的配慮ではなく, 中韓への「配慮」に基づく教科書を作るようになり, 近現代史中韓との関係に関わる箇所の検定はほぼノーチェックとなる. さらに, この条項をタテに中韓自体がわが国の教科書の内容に干渉的言動を行い続ける, という事態さえ引き起こす. 「近隣諸国条項」は教科書事件が残したまさしく「禍根」と言わなければならない.

「検定意見を付さない」

では, 「近隣諸国条項」以降, わが国の教科書の記述は具体的にどのように悪化していったのだろうか. その問題に入る前提として, まず「近隣諸国条項」ができる以前と以後では, 教科書検定のあり方がどのように変質したのかを確認しておく必要があろう.

まずは, 「近隣諸国条項」以前の検定のあり方である. それについては, 中韓両国の検定批判に対して, 文部省が昭和57年8月9日付で発表した見解が参考となるだろう.

例えば「侵略」という記述に対する検定姿勢について, 文部省は次のように説明している.

歴史教育では, 史実に立脚して歴史をできるだけ客観的に考察し, 判断しようとする態度を育てることが重要であることをかんがみ, 教科書検定においては, できるだけ客観的な表現で一貫した記述を行うよう求めている. 検定前の教科書の中には, 他の戦争に関する記述においては『進出』『進攻』などの言葉を用いながら, 日中戦争の記述では『侵略』という言葉を用いているものがあったので, 検定において『進出』『進攻』などの, より客観的な表現を用いるなど, 表現を再考してはどうかとの意見(改善意見)を付した」

また南京事件に関する検定姿勢については次のように述べている.

南京事件については, 事実の状況を伝聞ではなく直接的に示す史料に乏しく, とくに死傷者の数などは明らかになっていない. …従って検定では, そのような不確実な数値を教科書で断定的に記述することは避けるよう求めている」

では「強制連行」についての検定姿勢はどうか. 文部省は, 戦時中の朝鮮人労働者の内地移入が時期によって自由募集, 官斡旋, 国民徴用令と形態が異なるとの理由を挙げ, 「これらを一括して『強制連行』と表現することは適当でない」「事実を正確に表現するという観点から意見を付している」と説明している.

以上の説明から分かるのは, 「近隣諸国条項」以前の検定は, 「できるだけ客観的な表現」「不確実な数値を断定的に記述しない」「事実を正確に表現する」など, 記述の客観性・正確さという視点を中心に実施されていた事実である.

しかし「近隣諸国条項」以降, こうした検定姿勢は近現代史については明確に否定されていく. それを明瞭に示すものが, 文部省が「近隣諸国条項」の具体的適用のために作った「具体的事項についての検定方針(案)」だ. この方針案は審議会で正式決定されたわけではないが, これまでの検定において実際に適用されてきたことは疑いない.

それは要するに, 「侵略」「南京事件」「土地調査事業」「三・一独立運動」「神社参拝」「日本語使用」「創氏改名」「強制連行」「東南アジアヘの進出」「沖縄戦」など11項目について, 「検定意見を付けない」というものだ(ただし, 南京事件などの犠牲者数については出所・出典を明示する検定意見を付すとある). 例えば「侵略」については, 「主として満州事変以降における日中関係の記述については, とくに不適切と認められる場合を除き, …表記についての検定意見を付さない」と明言している. このような検定方針が適用されたことにより, わが国の教科書の近現代史の記述から, 客観性・正確さという視点が急速に失われてゆくのである.

台頭する「反日主義」

では, 「近隣諸国条項」以降の検定方針の変質によって, 教科書の記述は実際にどのように悪化していったのか. 小山常実氏の『歴史教科書の歴史』を参照しつつ, 中学歴史教科書を材料として検証してみたい.

近隣諸国条項」以降の教科書とそれ以前の教科書との最大の違いは, 満州事変と日華事変に関する記述である. 検定の度毎に「侵略」と記述する教科書が着実に増えていくのである.

まず, 「近隣諸国条項」が初めて適用された昭和57年度検定の教科書がどのように変わったかを見てみよう. 日本書籍は「日本の中国侵出」から「日本の中国侵略」へと節見出しを変更し, 2つの事変を記すようになる. 学校図書も「中国への侵攻」から「中国への侵略」に大見出しを変更した. また東京書籍, 清水書院, 中教出版3社も2つの事変を「侵略」と位置づけた. さらに教育出版は, 満州事変についてのみ「侵攻」から「侵略」に変更する.

さらに, 新検定基準のもとにじっくり原稿が練られた60年度検定になると, 教育出版も大阪書籍も2つの事変を「侵略」と記述した. また63年度検定から復活した帝国書院も, 旧版では「進出」としていたのが, 復活版では2つの事変とも小見出しで「侵略」と位置づけた. かくて, 全8社の教科書が63年度検定までに両事変を「侵略」と記述するに至る.

次に大きく変化したのが「南京事件」の記述である. 以前は南京事件を記述した教科書は5社だけで, いずれも犠牲者数は記していなかった. しかし57年度検定では, 大阪書籍清水書院も記すようになり, 7社が南京事件を記述するに至る. しかも, 犠牲者数について東京書籍は「20万人以上」「30万人以上」と示し, 学校図書は「少なくとも10万を越える」と記述した.

また60年度検定では, 学校図書を除く6社が犠牲者数を記すようになる. 少ない数字をあげる教科書でも「10数万」という数字を記している. さらに注目すべきは, 「虐殺」(日書), 「ナンキン虐殺事件」(清水), 「(南京大虐殺)」(中教, 帝国)という言葉が使われ始めたことだ. 「南京事件」から「南京大虐殺」への転換が行われたと言えよう.

さらに注目すべきは, 朝鮮人「強制連行」論の登場である. 例えば54年度検定の大阪書籍には「多数の朝鮮人が日本内地につれてこられ, ひどい条件のもとで鉱山や土木工事などに働かされました」とあった. だが60年度検定になると, 「約70万人の朝鮮の人々が強制的に日本内地に連行され…」という記述に変化した.

さらに重大なのが, 大東亜戦争の際のわが国の東南アジアヘの進出に関する記述の変化である. まず57年度検定において, 清水書院が東南アジアヘの進出を「侵入」と記すようになったのを皮切りに, 60年度検定では一挙に他の4社の記述が「侵略」(大阪, 教育, 中教), 「侵攻」(東京)へと変化するのである.

以上は一例に過ぎないが, 「近隣諸国条項」以降, 教科書の近現代史のなかに, いかに客観性を欠いた「反日」的言辞が溢れることになったかが分かるだろう.

独り歩きする「侵略」

こうした「近隣諸国条項」による弊害が極端にエスカレートした形で現れたのが平成7年度検定の中学歴史教科書にほかならない. 「侵略」という言葉が日清戦争日露戦争という明治時代の戦争にまで及んでいくのである.

まず日清・日露戦争について言えば, 平成7年度の検定以前から日本書籍大阪書籍は「侵略」と記述していたが, 7年度検定では清水書院も「侵略」と記し, また日本文教出版は「侵出」と記述するに至る.

4社の見出しを示してみよう. 日本書籍は「日本の大陸侵略」の章見出し, 清水書院が「近代日本と中国・朝鮮侵略」の節見出し, 大阪書籍は「帝国主義の世界と日本のアジア侵略」の節見出しの下, 日清戦争日露戦争について記述している. また日本文教出版は「大陸への侵出と条約改正」の節見出しで両戦争について記している.

もちろん日清戦争=侵略戦争という認識は国際的には通用しない中国のプロパガンダである. つまり, 「近隣諸国条項」の呪縛が明治期の戦争記述にまで及んできたのである.

また日露戦争については, 対中国と対朝鮮関係の側面があるため, 日清戦争に引きずられ「侵略」として位置づけられるようになったと見られる. いずれにせよ, こんな記述が野放しになっている検定の現状は, とても正気の沙汰とは思えない.

一方, 7年度検定の教科書には, 「従軍慰安婦として強制的に戦場に送りだされた若い女性もいた」(東書)といった「従軍慰安婦」の記述が全社一斉に現れた. むろん, こうした慰安婦「強制連行」説には客観的な根拠がないし, そもそも「従軍慰安婦」は歴史的な言葉ではなく, また中学生に教えるべき事項でもない. 「近隣諸国条項」がなければ, 慰安婦記述の一斉登場などという事態はなかったものと言ってよい.

ここで, 冒頭で取り上げた今春検定をパスした高校教科書に話を戻したい. 注目される1つの特徴は, 「侵略」という言葉が近現代史を超えて近世や中世にまで及んできたことだ. まず, 豊臣秀吉朝鮮出兵をほとんどの教科書が「侵略」「侵略戦争」と記述したが, これは韓国の歴史認識への迎合とも言えよう.

また, 中世に出現した倭冠について「朝鮮半島や中国の沿岸を侵略」(山川出版・世界史)と記す教科書まで現れた. 国ではなく私的集団の行為まで「侵略」とするのは明白な間違いだ. こんな記述まで中韓への「配慮」のためなら許されるとでも言うのだろうか.

以上のように, 検定基準に「近隣諸国条項」が追加されて以降, 歴史教科書のなかには「侵略」「虐殺」「強制連行」等, わが国の「加害性」を印象づける言葉が飛躍的に増えてきた. とりわけ「侵略」という言葉は, 昭和から明治の戦争へ, さらに近世から中世へと遡及しつつある.

かくして, 大部分の教科書は記述の客観性も教育的配慮も著しく失うことになったのだ. もはや歴史教科書は, 単に日本の「加害性」を子供たちに印象付けるための道具となり果ててしまっている. これは結局, 中韓への「配慮」を教科書に求めた「近隣諸国条項」の当然の帰結と言うべきだ.

だが, 問題はそれだけではない. 「近隣諸国条項」は教科書の改善をめざす日本国民の動きを抑圧する口実としても利用されてきた. 中韓が「近隣諸国条項」やその基になった「宮沢談話」を根拠に, 国民常識にかなった教科書への攻撃を繰り返してきたことは周知の事実であろう. そうした内政干渉の結果, 昭和61 年の『新編日本史』の検定に際しては, 文部省は超法規的措置により数回に亘る異例の修正を行った. また平成13年の中学歴史教科書の検定に際しても, 中韓は扶桑社版の記述内容に是正要求を突き付け, それを材料に日本の反日マスコミは扶桑社版の批判キャンペーンを展開, 事実上の採択妨害を行った.

このように「近隣諸国条項」は, 単に歴史教科書の記述を歪めてきたばかりか, 中韓内政干渉の口実ともなっている. この弊害多き規定を撤廃する以外に, もはや日本国民の歴史を守り, 伝える術はない. (小坂)