11/01 追記

コメント欄 憂國者 (2004-10-30 18:19:47)

どっちにしろ「強制はアカン」ゆうこっちゃ
国旗・国歌を強制することに, 天皇陛下ご自身が明確に不快感を示されたという事実は変わらない.
少なくとも「天皇」や「皇室」を敬うことを日ごろから主張したり, 他の人々に「強要」している(しようとしている)人々は, 国旗・国歌を強制しようとすれば陛下の御意に叛くという矛盾を今後抱えることになるのだ.

十月廿九日(金)薄曇。朝刊(朝日)開けば思わず卒倒せむばかりに驚くは昨日園遊会にて東京都教育委員の愛国棋士米長某厚顔しくも陛下の御前にて「日本中の学校で国旗を掲げ、国歌を斉唱させることが私の仕事でございます」と述べ陛下に「強制はよくない」と苦言呈されしことと佐藤忠男先生の映画『2046』の映画評に「香港人の不安と痛み映し出す」といふ題に涙零れるほど。朝日新聞購読していてよかった、とつくづく感動(笑)。畏れ多くも畏きは天皇陛下の御言葉。昨日園遊会にて東京都教育委員の愛国棋士米長某陛下の御前にて「日本中の学校で国旗を掲げ、国歌を斉唱させることが私の仕事でございます」と述べるに陛下「ああ、そう」と先帝髣髴させらるる受け応えに米長某「頑張っております」と付け加え陛下「やはり、強制になるということではないことが望ましい」と述べられ給ふ。愚直なるはこの将棋指し「もうもちろんそう本当に素晴らしいお言葉をいただきありがとうございました」と低頭し謝辞。平成の歴史に残る場面なり(朝日)(映像)。ちなみに読売、産経の愛国両紙はこれにつき本日朝刊では沈黙。陛下の御発言について宮内庁次長園遊会後発言の趣旨確認し「陛下の趣旨は、自発的に掲げる、あるいは歌うということが好ましいと言われたのだと思います」と説明。これは「国旗・国歌法制定時の『強制しようとするものではない』との首相答弁に沿っており政策や政治に踏み込んだものではない」と釈明。久が原のT君の指摘通り「この明治維新以降天皇の口にせられし最も過激なる言」は先帝の二二六内亂の砌「朕自ら近衛兵を率ゐて鎮壓せん」と勇み立たせ給ひけむ先帝陛下逆鱗の言に勝れること数倍、殆ど比較にならず、と。確かに。時の宰相田中義一天皇に異言を咎められを辞したるの先例すら昨日の園遊会でのこれに比べれば軽し。T君察するに先帝陛下ならば何と仰せられ候や。たゞ無言で通り過ぐるか、さなくば「あ、さう」とでも流し給ふか、恐らくそのいづれかなるべく候。聖上のお言葉は無學代議士・小役人の國會答辯にてはなく候。その場しのぎの輕々なる言など、今上皇帝これまでの御生涯を鑑み奉りても、一つとしてこれあるべからず候。その發語に無駄なき御性情、また昨日席上にて御對話の文脈に則れば「強制でないのが望ましい」とは「現に強制してゐる」ことの婉曲なる御指摘に他ならず。この間髮をも入れざる陛下の機鋒の鋭さ、言語感覺の鋭敏さに對して自ら發する語のみならず相手の語の内實さへも斟酌なす能はざる將棋指し某の魯鈍さ、どうにもかうにもお話にもならずとはこのことに候、とT君。ふだんあまり覘かぬ2ちゃんねるでも珍しく横からチャチャも入らず米長某への避難と陛下への「見直した」といふ発言多し。ちなみに米長某のホームページには本人の「さわやか日記」も昨日のこと記載未だなくサイト上「世間様は私が一生懸命に生きているのを分ってくれている人の方が多いように思います。感謝。ありがたいことです。励みになります」と素直に喜びを語ったといふ名人(こちら)に掲示板も将棋名人に対して「最大の禁じ手」「誤手」などと辛辣なる苦言多し。本日は金曜日にて午後三時より東京都知事石原某の記者会見期待するばかり。官房長官細田某「象徴としてのお立場を十分にご理解になった上でご発言になっており、国政に関する権能を有しないと定める憲法の趣旨に反することはない」との認識を表明。話題の法相南野某女は期待に応え(笑)国旗掲揚国家斉唱を「自ら進んで行うのが望ましいと(いう意味で)おっしゃったのではないか」と見事なる発言、国歌斉唱時に起立しなかった教職員を東京都教育委員会が懲戒処分にしたことについては「個別案件にとやかく言うものではない」としながらも「一人ひとりの価値観(の問題)だから、自主性に任せていいと思う」と都教委の対応に疑問も呈すまさに右往左往。これについて文部科学相中山君「国旗国歌は強制ということではなくて、喜んで自発的に掲揚したり斉唱したりするありさまが望ましいということをお述べになったのではないか」と感想述べ東京都の教職員処分は「校長や先生は関係法令や職務上の命令に従う責務を負っている。思想や良心の自由が内心にとどまる限りでは保証されなければならないが、(不起立という)外的行為となって表れる場合は一定の合理的範囲内で制約を受ける」と指摘し 「校長が学習指導要領に基づき本来の職務を命じることは教職員の思想良心の自由を侵すものにはならない」と述べ法相とは異なる見解。首相小泉三世は本日午前皇居に内奏。気になるところ。自民党総務会長久間某は陛下の発言につき「非常にごく当たり前のことで、自然と強制でなく、みんなが国旗を掲揚し、国家を歌うことが望ましいと言われたのだろう。そういう雰囲気が出来上がるのが一番いい」と述べる。自民党としての「おとしどころ」はここか。あきらかに陛下の御言葉を歪曲した理解。陛下の「強制はよくない」は自然と国旗掲揚し国家歌う「それならそれはいいが」強制はよくない、つまり国旗国歌に反対する人もいても容認すべきことが大切、けして「みんな」と強いることへの苦言。イラクではアジア人の遺体発見といふ報に政府まだこれが日本人捕虜かどうか確認していない、と小泉三世。もし日本人捕虜殺害され陛下の愛国心強制反対では政府与党にとってダブルパンチ。都知事の記者会見(映像)。新潟の地震について述べ東京での災害の場合、ヘリポートなど東京のもつ救援設備、施設は規模が違うと地震たっぷり。だが素人目にも新潟の辺鄙なる地であれだけの災害。東京で同じ規模の直下型地震発生の場合、ハイパー消防だか百機以上の救助用ヘリコプターでどれだけ対応しきれるのか想像するだけで怖いものあり。朝日の記者の「米長騒動」についての質問に対して都知事「文相の発言妥当」と述べる。法相は「ピントはずれ」と苦言。ただし詳細わからず憶測で言いたくないと逃げ口上。東京都のことを「誰かがホウカ?して(←聞き取れず)言うのは」強制強制というが東京は強制じゃない。国が決めたこと義務として行っているだけ、と逃げ答弁。その「誰だか強制と言っている」のはまさに陛下のはず。わかっているのだろうか。陛下の逆鱗に触れ臣民としてどう謝するべきか。それにしても国が決めたのは平成15年の文部科学省初等中等教育局長による「学校における国旗及び国歌に関する指導について(通知)」によれば「学習指導要領に基づく国旗及び国歌に関する指導が適切に行われるよう指導をお願い」し「卒業式及び入学式における国旗掲揚及び国歌斉唱についても,児童生徒に我が国の国旗と国歌の意義を理解させ,これを尊重する態度を育てるという学習指導要領の趣旨を踏まえ,域内の全ての学校において適切に実施されるよう一層の指導の徹底をお願いします」というもの。具体的に学習指導要領(こちら)見ても国旗国歌への理解と普及期しているものの、だからといって各校に係官派遣し式の徹底的監督行い公務員の処罰までして、これ強制以外の何ものでもなし。ふだん国の政策だの権限などにつき言いたい放題で国ができぬから自治体が、と言ってはやりたい放題で、こういう時だけ国の方針にしたがっているだけ、と逃げ口上以外の何ものでもなし。いや、国ができぬから自治体が、は石原らしさか。組の総親分に「テメーのシマ、ちっと緊めておけよ」と指示受けて地元に戻りちょっとでも抵抗する輩をば半殺しにするほど痛めつけた挙句「親分の指示に従ったまでで」と言い逃れの如し。東京新聞の記者の質問に国立市のマンション建築問題に触れれば「あのマンションより駅前の並木通りに名前を言ってもいいが、と景観壊す「中華料理屋、中華料理屋」そこまで石原にとっては中国が迷惑か(笑)。記者会見のあまりの小市民性にしみじみと知事の「不安と痛み」感じ入る。紐育タイムスの本日朝刊はAP電(こちら)で「米長騒動」をば“Japan Emperor Discourages Overt Patriorism”と伝える。当然「国旗国歌は強制ということではなくて喜んで自発的に掲揚したり斉唱したりするありさまが望ましいということをお述べになった」とは受け取っておらず(笑)。[……中略……] 遅晩に米長名人の「さわやか日記」本夕に昨日の記述あったのを読む。将棋のことから陛下との会話始まり「現役はやめました。将棋盤を挟んで親子が楽しんでいる家族は幸せだと思います。将棋の普及に務めております。陛下のお正月の昭和天皇と皇太子殿下とご一緒の写真は大切な我が家の宝でございます」と述べ陛下より「教育委員として本当にご苦労さまです」との御言葉を拝し「はい。一生懸命頑張っております」と。ここに「日本中の学校で国旗を掲げ、国歌を斉唱させることが私の仕事でございます」と述べたことも陛下に「強制はよくない」と指摘受けたことことも一切なし。欺瞞にあらず。恐らく米長名人にとって二十四時間の間に余りの高圧が精神にかかり「日本中の学校で国旗を掲げ、国歌を斉唱させることが私の仕事でございます」と述べたことが記憶から消え去っているようなもの。その日記は最後に「開かれた皇室、明るい皇室、心温まる皇室。幸せな一日でした」と結ぶ。まさに憔悴しきった極楽。ランニングハイ。どこかでこの「開かれた皇室、明るい皇室、心温まる皇室」的な穏やかな天皇崇拝、と思えばこの感覚はまさに『近代の超克』の世界。昭和に入り教養人の知性に高圧かかり開戦でもって脳がイカれてしまひ転向といふには烏滸がましき思想なき、高尚なる、まるで母の胎内のごとき内で心地よく、畏くも天皇戴いたわが国に生きることの喜びなど語る、あの世界。昨夕よりさぞやお疲れなのであろう。