【答え】
1890年に定められた教育勅語は, 天皇の祖先が日本をつくったとし, 天皇をすべての道徳の根源だとして, 絶対的に崇拝させるためのものでした. 「いいこと」というのは「父母ニ孝ニ兄弟ニ友ニ夫婦相和シ朋友相信シ」など一連の徳目が教育勅語に書いてあったことをさすものと思われます. しかしその徳目は「一旦緩急アレハ義勇公ニ奉仕以テ天壤無窮ノ皇運ヲ扶翼スヘシ」と結ばれていて, 天皇のために身命(しんみょう)をなげうってつくすべき臣民の道徳としてあげられていたものです. けっして独立した徳目ではありません
親への「孝」も天皇への「忠」と結びつけて教え込まされました.「夫婦相和シ」なども, 個人の尊厳や基本的人権の尊重などの考え方に立つものではなく, 個人より「家」,女性より男性を重んじ, 女性を無能力者扱いした, 封建的, 前近代的な倫理観にもとづくものでした
これらの徳は「皇祖皇宗(神話上の天皇の祖先や歴代天皇)ノ遺訓」とされていて, 国民がこれに意見をつけることは許されず, 国民に対し, 天皇が特定のモラルを押しつけるものとなっていました
ですから, 1948年6月に衆議院は, 教育勅語などが「今日もなお国民道徳の指導原理としての性格を持続しているかの如く誤解されるのは, 従来の行政上の措置が不十分」だからだとしあらためて「根本理念が主権在君並びに神話的国体観に基いている事実は, 明かに基本的人権を損ない且つ国際信義に対して疑点を残すもととなる」ことを明確にして政府に教育勅語などの「排除の措置を完了」するよう求める決議をしています(教育勅語等排除に関する決議). 参議院も同日「教育勅語等の失効確認に関する決議」をあげています
このような教育勅語は,どの部分をとっても, 主権在民, 平和主義をうたう憲法とは両立せず「いいことも書いてあった」ということは出来ません
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