不可欠な存在


ごく限られた形ではあるが広島での原水禁運動誕生の意味を探ってきた. これは誰が運動の先鞭をつけたかという詮索ではないし,過去の誤りの暴露的な揚げ足とりでもない. 現在の運動にあらわれているさまざまな動きを正確に評価するための一つの視点を提供できればと思っただけである



核兵器廃絶の運動が,思想・信条・社会体制の相違をこえた広範な人々の運動であることはいうまでもない. しかし,そうした広範な運動をつくっていくうえで,何ものにも惑わされず,犠牲を恐れず,ひたすら真実を追及する日本共産党の存在が不可欠なのであった



最近,党を裏切った連中が「あのころ自分はこんなことをした」とひけらかしているのを耳にすることがある. かつて党員であったころの行動を誇りうるのは,それが前衛党の意思にもとづくものであったからである. そのことを認めない放漫さが,市民運動の名による共産党排除の策動と結びついているのは決して偶然ではない



今年は被爆40周年,そして党創立63周年である. 党史の半分以上が原水爆禁止という人類史的課題とともにあったわけで,そこにおける党の役割を改めてふりかえることに深い感慨を覚えている



むらなか・よしほ
日本共産党広島県委員会