戦後を担う人たちとの出会い/堅牢敬遠'突撃一番'罹病率高し
櫻田 : 経理監督官としては, いろんな苦労があったんでしょう
鹿内 : そうなんです会社へ行きますと直接原価の査定は出来ますけどぼくがいちばん苦労したのは間接部門の総掛かり費をどういうふうな配分でどういう比率で原価に算入していくかということですその算定方法で全く変わってしまいますから…
櫻田 : そうそう. 間接費の割合だな
鹿内 : ええ. 例えば倉庫だとかあるいは埠頭の輸送機関の施設の経費をどう見るかということ. でも日立とか王子とか, 当時の大きな会社を相手に, 大変大きな数字を見ながら, ものを見る修練が出来たわけね. 当時, ぼくが扱った会社をあとで数えてみたら360社もありました
櫻田 : それは大変だ
鹿内 : でも, それだけのバランスシートとか, 何かを全部見たわけですから……
櫻田 : いい勉強になったでしょう
鹿内 : これは今日, ぼくがいろんな経営を預かるうえで大変な財産になっていると思います
櫻田 : そりゃそうでしょう
鹿内 : こんなことは, どんなに金をかけても勉強できるこっちゃない
櫻田 : そうなんだ. よほど年期を入れないと, 直接費と間接費の比率なんて, そんなにぽんとは……
鹿内 : ええ出てきません
櫻田 : 出るもんか(笑)
鹿内 : そういうことで, 私としてはこの時代に一生のなかでかけがえのない勉強をさせられたと思いますけどね
櫻田 : それはそうでしたね
鹿内 : しかし, 雑品屋ですから, そのなかには面白いこともありましてね. まさか誰も知らないとは思うんですけど, 兵隊が女を買いに行くときの衛生サックね, これが需品本部の担当なんです(笑)
櫻田 : ほほう
鹿内 : そうしたら, ある日, 支那派遣軍のいちばん偉い人の名前, 確か畑俊六さんだったと思うけど, その人の名前で要注意の報告書が送られてきた. 要するに「何月何日送付に関わる衛生用具については罹病率が非常に高い」ということなんです
櫻田 : そうですか
鹿内 : そこでぼくは担当の課長さんに呼び出されて「おまえこれは非常に粗悪品らしいぞ現地調査をしてちゃんとしたものを送らなくちゃん」と注意されたそこで「それじゃその工場を見に行こう」と出かけて行ったぼくは今でも忘れません東京・葛飾に国際護謀[旁に草冠]工業という工場がありましてそこへ軍刀を下げて下士官を引き連れて行ったわけだ(笑)
工場には
櫻田 :
鹿内 :
櫻田 :
鹿内 :
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