『正木ひろし著作集 I 首なし事件 プラカード事件 チャタレイ事件』栞から

「首なし事件」と映画「首」



昭和39年,正木ひろし弁護士の手掛けた「首なし事件」を私ははじめて知った. それは家永三郎『権力悪とのたたかい - 正木ひろしの思想活動』[弘文堂新書,1964/04/15]によってである. 家永氏が正木ひろしの数々の活動を紹介して,その思想を戦闘的民主主義的ヒューマニズムと規定しているのに胸のすく思いをしたが,「脚註」の一つとして「首なし事件」が数行紹介されているのを読んで,私は衝撃をうけた. 昭和19年という,悪夢のような戦争末期に起って,昭和30年の最高裁判決まで,前後12年を費した数奇な事件と裁判,「私を神に仕える弁護士にまで引き上げてくれた」と正木さんが言われるこの事件の全貌を知りたく,国会図書館に通って,慣れない裁判記録や資料に目を通した. 同じ年に正木さんの『弁護士 - 私の人生を変えた首なし事件』[講談社,1964/06/16]が刊行されたことで,私の中で映画『首』の企画は急に動きはじめた. それまで読みすすんできた正木さんの『近きより』他の著作も参照しながら,「首なし事件」と正木弁護士の感動的な行動を,とにかく脚本に書いた. その時まだ私は助監督であったが,監督になったらどうしても映画にしたい脚本が数本あって,その中の筆頭にこれを加えた


しかし,映画「首」が実現するには,それから3年余りかかった. 正木弁護士はこの事件で,証拠となる埋葬された死骸の首が,10日以上もたって腐ってしまうと焦燥する,サスペンフルな場面があるが,私も映画「首」の企画がなかなか通らずにいらいらしながらも「この企画はけっして腐らない,いつか必ず強烈なかたちで実現する」と信じていた


昭和42年の秋,映画化が決まってからは「真昼の暗黒」[八海事件を映画化]を書いた橋本忍氏に脚本を依頼し,二人で何度も正木さんをお訪ねして,興味深いお話をうかがい,事件の現場や最高裁判所など,御多忙の中を案内していただいた. ステッキを手に,私たちの前に立って生き生きと歩かれた正木さん,その姿が目にうかぶ. お会いするたびに啓発される,楽しい,感銘深い日をすごすことが出来た


昭和43年6月に公開された映画「首」[6月8日 東宝]を,今も私の傑作だと言って下さる人が多いが,正木さんのような,神に近い,偉大な人にお会いできたのも,映画をつくっているからだと,深く感謝している. (もりたにしろう 映画監督)