中村政則「現代民主主義と歴史学」(抄) 2/End

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ところで,家永のこうした姿勢を支える精神的拠点は何なのだろうか. これは先ほどの「正義の観点」ともかかわっている. 家永はかつて,法解釈の「客観的基準として,それが歴史的進歩の方向に向っているか,逆行の方向に向っているか」を重視したい旨を述べたことがある. では,何を基準にして進歩か逆行かを判定しようというのだろうか. 家永はその点につき,明示的には述べていないが,限定付き[「限定付き」に傍点強調]にせよ,ベンタム流の「最大多数の最大幸福」を具体的な価値基準とすることに賛意を表している. 別言すれば,「『自由』に向っての全人類的前進」を希求する立場こそ「正義の観点」にほかならない(この点に関し『美濃部達吉の思想』159〜164頁). そしてこの観点はさらに家永の戦争体験と戦後体験とによって強く裏打ちされているという関係になっているのではないか. とくに注目されるのは,家永が新憲法の実質的意義を完全に理解できるようになったのは,憲法改正が公然と論議されるようになった1950〜1951年頃,すなわち朝鮮戦争と逆コースの時代であったことを記している点である. すなわち,家永が,主権在民戦争放棄・人権確立の三点にこそ日本国憲法の基本精神があるのだということを体得するにいたったのは,50年代の「平和と民主主義」の闘いの中であったことが判明するのであって,このことは家永の「正義」の観念がいかなる歴史的条件の下に,何を基準にして形成されたかを,そのまま暗示していると考えられるのである. そして,このような切実な体験をふまえているが故に,家永は,美濃部の「民主主義」の思想的限界を次の四点 --明治憲法の解釈学であることから来る制約,天皇制への忠誠,国家への過大の信頼,帝国主義の是認 -- にわたって指摘することができたのであった. これを裏返せば,日本国憲法,共和制,抵抗権,国際連帯の思想が,家永の思想的立脚点となっているとも考えられ,また,そうであるからこそ60年代初頭の家永の思想史研究がいまなお鮮烈な生命力を保持しているのである. 勿論,このようにいったからといって家永の方法に批判がないわけではない. とくに問題となるのは,現代の国家独占資本主義の下における民主主義の構造が,かっての産業資本主義段階の民主主義の構造(=市民的自由)とまったく異なった相貌を帯びていることを,ほとんど原理的につめようとしていない点である. また,現実の社会主義国家において権力と個人の対立があることを理由に,資本主義下の国家対人民の関係と社会主義下の国家対人民の関係における問題性を,人権擁護の視点を前面に押し出すことによって,ほとんど同一視するかのような発想は,何とかしてブルジョア民主主義の限界を突破しようとする志向を逆に弛緩させてしまうことになるのではないか. その点を私は危惧する. だが,そのことを前提にしたうえで,最後に次の点は指摘しておかねばならないだろう


最近の日本近代思想史研究の方向は,どちらかというと頂点的思想家の研究よりは,むしろ民衆思想の研究にむかって大きく動きつつあるかに見える. そのため,家永の植木枝盛美濃部達吉研究のような頂点的思想家の研究に対する興味・関心はしだいに薄れつつあるのではないか. しかもそのような傾向が近代主義の限界を強調するあまり,それがついには反近代主義あるいはニヒリズムアナーキズムへの思想潮流へとつらなっていく契機を内包しているのだとしたら,私はむしろ家永的な頂点的思想家の研究の健全さを選びたいと思う. 現代のわれわれは,それほど簡単に「近代の超克」を叫べるほどには,近代市民精神をわがものとはしていないのである