下書……藤井日逹「不殺生戒」

古来人間の生存,繁栄、進歩,発達の歴史は,暴力戦争に由て築かれた物ではなく,むしろ戦争に由て破壊された物であります. 加之,人間の悲劇は,殆ど皆暴力戦争の産物として,世界到る処に演出されました


今日戦争技術の発達は,戦争行為を一層残酷にし,大量無差別の殺人破壊が行われ,特に広島,長崎に投下された原爆を最初として,総ての核兵器の使用は,人類をして全滅の脅威に曝されております. 是に於て,戦争,暴力を絶対に抛棄して,世界が平和に,生命財産が安全に護られる手段を構ぜねばなりませぬ. 抑も人間の生存,繁栄、進歩,発達の歴史は,唯精神的生活を主体としたるものであります


暴力が王座を占め,帝国主義が横行し,侵略戦争が行われつつある今日,全然非暴力にして,我生命,財産を護り,国家の安全を期待することは,不可能なる理想にして,一種の空想の如くにも想われて,信じ難き辺もあります


アメリカの際限無き侵略戦争も,日本の安保条約堅持も,自衛力の増強も,政府の口から国民の生命財産を安全に護るということも,所詮は,貪慾なる独占資本の商売繁盛の営業であります


餌の中に国民の生命財産を奪う軍備といい,戦争という釣針が蔵してあります. 魚が危険とは想い乍らも,やがて針を呑むのも,餌を貪る過失であります. 我国民の生命,財産が国家の干城たる皇軍に由て,其聖戦に由て,枢軸軍に由て,安全に護られなかったのみならず,却て無慙に破壊されたことは,まだ忘れ去らぬ現実でありました


殺人破壊の武器を放棄すれど,即そこに平和は現前します. 武器を採用すれば途端に戦争が起ります. いかなる時にも武器に由て平和を創造することは出来ませぬ. 現在東洋に於て,戦争しておる者はアメリカであり,世界に,戦争を計画しておる者もアメリカであります. 我々はアメリカの軍事力に対決する為に,殺人破壊の手段より外の,之に勝る手段を発見し採用しなければなりませぬ. それは古来暴力的対決にあけくれた歴史の中には見出だされぬ新しき手段でなければなりませぬ. 暴力を否定する効能から云えば非暴力であり,物質的貪慾を制御する点から云えば精神的でありましょう


決定して人の生命を奪わない誓願から云えば,不殺生戒であります


非暴力の行動,不殺生の法則は,一人で深山幽谷に籠って修行することは容易でありますけれども,一般社会の役には立ちませぬ. 非暴力も不殺生も,大衆の中に在て初めて世界平和を建設します


我大衆の中に入り,大衆が不殺生戒の力が軍事力に勝ることを信ずる時,人々の集団の力に由て,暴力を排除し,人間の生命の安全を守るという悲願が,共同一致の不思議な力に由て達成されることを確信し,人類全滅の前に一切の戦争行為の災害を喰止める運動を成効せしめねばなりませぬ (ふじいにったつ=日本山妙法寺山主)