収容所からの解放と食糧闘争

1945年6月22日,沖縄全土を占領したアメリカ軍は,すべての沖縄県民を各地の収容所に強制的に収容しました. 日本政府が無条件降伏をした同じ年の8月15日が過ぎてようやく段々に解放して部落に帰しましたが,戦災で生産手段のすべてを失った沖縄県民は部落に帰っても生活のめあてがなく,米軍の配給物資にたよらざるを得ませんでした. このようななかで,1947年に米軍は突然食糧品の3倍値上げを発表しました. このとき,不法な措置に憤激した沖縄・奄美の人民は,市町村部落ごとに値上げ反対の集会を組織し,対米非協力・不服従運動を起こしました. 軍需品やその他の物資の荷揚げ作業を拒否するという勇敢な抵抗も行われました. これこそ米占領開始後,最初の大衆闘争だったのです. そのため結局米軍も県民のこの要求に屈し,値下げにふみきらなければなりませんでした