第1段階 左翼運動の限界

第1の段階のたたかいの主要な担い手は,何よりもまず被告自身であり,被告の家族たちであり,弁護団であった. また宇野浩二氏,広津和郎氏など進歩的文化人であり,共産党とその影響下の労働者・学生活動家であった. たたかいの進め方も,法廷闘争と結びつけた無実の訴えとデッチ上げの暴露を主とし,今日のたたかいの基礎をつくったものであったがいわば左翼の運動の限界を出なかった. たたかいの組織も,被告を中心に結成された松川事件対策委員会,国民救援会の松川班ともいうべき松川救援会という形であった


このように左翼の運動という限界をやぶることの出来なかった理由は,何よりも,この段階における労働者階級内部の,また労働者階級と国民の他の層との分裂状態であった. そもそも松川事件は,下山・三鷹事件とともに,人民中国の出現に恐怖し,日本を,極東における巻返し作戦の不沈空母として利用しようとするアメリカ帝国主義者と,その目下の同盟者となることで復活のチャンスを得た日本独占資本とが,労働者階級を中心に前進する国民のたたかいを分裂させ,弾圧し,首切り合理化を強行し,単独講和すなわち安保体制を押しつけるための陰謀事件であったが,当時の労働者階級と国民の状態は,この陰謀にみすみすひっかかる弱さをもっていた.


占領アメリカ軍を解放軍とする誤った考えを払いのけられなかったことから,労働組合運動に対するGHQ労働課の系統的な分裂策動を許し「反共」の旗印によってGHQの公認を得たいわゆる民同派は,松川事件等を労働運動内部での覇権獲得のため利用しさえした. また,三事件がおこされる前に,マス・コミを総動員して毎日のように列車妨害事故の意識的な報道が行われたが,このことは,GHQや政府が系統的に行った,共産党と戦闘的労働者を暴力と破壊の極悪人とする宣伝と結びついて,松川事件等は共産党と戦闘的労働者のしわざだという強い予断を国民に与えることになった


このような労働者階級内部の,また労働者階級と国民の他の層の分裂状態のために,またその後にとられた共産党極左冒険主義の誤った方針によっていっそう拡大されていった段階では,被告と家族と松川活動家の必死のうったえにもかかわらず,運動は左翼に限定されざるをえなかった. 第1審は公判自身が占領下の魔女裁判として汚辱にみちたものだが,第2審の公判廷では被告の無実が明白に証明されたにもかかわらず,白を黒といいくるめるおどろくべき判決を許したことは,松川のたたかいのこのような狭さにあったといえよう