志賀直哉「松川事件と広津君」

松川事件と広津君


僕は松川事件について,事件そのものを完全に知つているわけではないが,とにかく裁判官というものは,すこし暢気[のんき]といへば暢気,ややハンブル(謙虚)でないといふ感じを受ける. たとへば,広津君が石坂長官の書簡を発表したことに対して,当の石坂といふ人が,人権がどうのかうのといつて怒つているさうだが,被告にとつては人権どころではない,死刑になるかどうかといふ問題である. これは人権がどうかういふのとは,全然比重のちがふ問題である. だからこそ広津君もむきになつているわけだ


私信を発表したことを問題にしているけれども,あの書簡は雑書綴ぢの中に出ていたのだから,純粋な私信とはいへないものだと思ふ. それもおそらく鈴木裁判長が進んで出したのではないかとさへ僕には思はれる. つまり専門家の先輩などは,ちやんと自分の判決をこのやうに認めてくれているのだ,といふことを,ひとに見てもらひたい気持があつたのではないか. 鈴木裁判長宛てに来た手紙だから,他人がそれを無断で出したとは考へられない. またうつかりしてまぎれこんだといふやうなことは,かへつてをかしい. そんなはずはない. やはり見てもらひたい気持で出したとしか考へられない. とにかくさうして一度人の目にふれた以上,これはもはや私信といふことのできない性質のものではないか. それを広津君が発表したからといつて,人権をどうのかうのといふのは,厚顔すぎる形式論だ. その後,あの手紙は早速雑書綴ぢじから抜いて,隠してしまつたさうだが……



広津君が松川事件を根気よく追求しているのは,決して正義のためにといふ考へでやつているのではない,と僕は書いたけれども,他の人なら正義を看板にして,いやに肘をはつてやるところを,広津君は,さういふふうにとられることを非常にてれて,ただ,調べてみると興味津々[しんしん]たるものがあるから,といふふうにいつている. もちろんそれは,正義のためにではあるのだけれども……. 要するに,ああいふ裁判では誰しも不安でたまらないといふこと,裁判といふものは,さういふものではないといふ考へでやつているわけだ


万が一にも,無実の罪で死刑にされるといふやうなことは,考へただけでもたまらないことである. 僕ははじめ,あの被告たちの書いたものを読んだとき,むしろそのたまらない気持が出ていなさすぎるのが変だと思つた. ずいぶんやりきれない気持のはずだと思ふのに,わりに冷静なのが不思議に思へたくらいである. しかし,むろん書いた者にしてみれば,必ずしもさうではないと思ふのだが……


広津君は,はなばなしくやつてそれがまた被告の方へはね返って行つたら大変だ,といふことに非常に気をつかつている. ところが左翼の人たちのやつていることは,なんだかをかしい. 先日もある人が手紙でソ連へ行つてこの事実を愬[うつた]へてもらひたい,といふのだがさういふ気はしない. どうもさういふところが,左翼の人たちと僕たちは全然別だ



それから,これは話はちがふが,この間(まだ吉田がやめないうちのことだが)新聞でみると,ある右翼の会があつたとき,どこの代表だつたか忘れたが,吉田内閣を倒せといつて騒いでいるけれども,そんなひまに吉田を抹殺したらいいぢやないか,と演説したさうで,私はその記事を読んで実に不愉快になつた. これは実に卑怯なやつだと思ふ. 若い者を煽動してやらせ,自分は犠牲を払わずにすますといふわけである. 5.15とか2.26などにも,かうした人間がずいぶんいたはずだ. かういふ奴らはどしどしつかまへて,2年でも3年でも入れておいた方がいいのではないか. ある意味の暗殺教唆罪だからだ. しかもかういふ連中が,不断は大した人物のやうな顔をして歩きまはつているのだらう



【出典】志賀直哉『全集9』岩波書店,1999/08/06 p.280-p.281松川事件と広津君


【初出】『中央公論70(2)1955/02/01