朝日新聞【1954/10/19(8面)千葉版「灯台」】 大原町遺族会から
大原町遺族会会長・KT
大原町忠実霊魂搭施設について二回[*1]にわたり抗議の投書があった私どもからお答えするのは筋違いと黙過していたが一女性から遺族会の名が出たのでお答えする
私共の遺族会は昨年の総会で近接町村でほとんど忠実霊魂搭の建立を見ているのに大原町にその企てがないのは遺憾だとの意見が出て, 早速本会の総意をもって町当局に建設方を要請した. 私どもは清楚な心を込めたものであることの希望も付け加えた
ところが私共の要望以前に町当局でも協議されていたので直ちに各地域代表にその意見を求めたところ, 全員これに協力方を申出た. そこで今春各地域代表者を主体に大原町忠霊搭建設委員会が発足, 私も委員の一人に加えられ, この企画に参加したものの, もとより私は受身の立場だけに多少の意見を述べたに過ぎない
その後何回かの審議の末規模としては大多数の意見として永久に霊地として残すものだからあらゆる角度から見て120万円程度ならばというのでこの予算を目標に置いた. そこで浄財を集める方法としては何の企てでもやるように地域毎に大体の目安を定め, 実情に則した自由意思によっての寄進に待つことを申合わせた
私は募金にはふれなかったが寄進も1ヶ月に分け月額大体20円から50円程度と承知した. 殉国者に対する弔意はむしろ自発的に皆さんの声から盛り上げ慰霊方法の足らないことを嘆いていられることと信じていたところ
たとえ2,3の方からとはいえ, この企画にさえ不満を表されたのは心外にたえない. 私共遺族は常にせめても皆様の温い気持に生き抜きたいと念願している. 私共は物質的要求だけに終始するものではない. 今度の忠霊搭も皆様の心からの浄財によっての建設こそ望ましいので, その意思に反しての忠霊搭など何の意味もない, かかるお考えの方があったら私共は御辞退したいと存ずる
地下の霊もこれを受くるに忍びがたいものがあると信じる