字引にない言葉

敗戦日本の混乱は,言葉の上でも色々新造語をうみだしたが,昭和20年の8月下旬,アメリカ軍が上陸をはじめてからパンパンという言葉を耳にしたとき,日本人はその意味がわからなくてみなちょっと首をかしげたものであった


やがて日本人は,兵営や停車場のあたりをうろついている毒たけのように派手な化粧をした女が,パンパンという言葉の実態であることに気がついた. しかし,英語の字引をひいてもないし,むろん日本の字引にもない. 英語でもなければ日本語でもないこのパンパンという言葉は,いったいどこの言葉であろうか. 色々詮索がおこなわれたが,パンパンの語源を明らかにした者は誰もなかった. 数多くあらわれた新語辞典のなかで,パンパンの語源にまでふれたのは,自由国民の『現代用語の基礎知識』(時局月報社)が一冊あるきりである. その1949年版の「パンパン」という項目をかかげてみよう


終戦後街頭に現れた私娼をパンパンと云つている. 語源には定説がない. 終戦後の流行語だが,海軍復員者はみんな戦争中から使つていた. 語源の一. 軍港に停泊し上陸許可が出で早速慰安街に駆けつけるがもうあたりは寝しずまつている. 「こら起きろ」と表戸をぱんぱんと叩いて女を起した. その戸を叩く音から出たというその二. 仏印のある街で食料不足から物乞いが氾濫していた. 上陸した日本兵を見ると若い女たちが手をさしのべて「パンパン」と哀願した. パンは彼女等にとつては麺麭であつた. ちょうど終戦後の日本娘もパンのためにこれと同じような哀願を男性に示したのと同様である[*1]

表戸をパンパンたたく音や,食物のパンをねだる声に結びつけた右の語源考は当たらずといえども遠からずといった程度の回答でけっして的を射たものではない. 諸説粉々として真偽を定めかねていたとき,パンパンの語源を筆者に教えてくれたのが,子供文化社の篠崎吉太郎君であった. 彼は南洋在住12年の経歴を持つ文化人で『南洋開拓15年誌』の編集にも加わっている. この篠崎君の説によれば, パンパンという言葉の発祥地は南洋のサイパン島だ, というのである

*1:特集雑誌 自由國民 創刊廿周年・特別號『現代用語の基礎知識1949年版 新しい社会の動きを理解するために』時局月報社,1949/08/10 全文⇒id:dempax:20141101