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またかつて戦争中「教育」誌上に敢然発表された羽仁の「歴史教育批判」(岩波書店)が刊行され,その歴史教育が真実を知らしめ,これを批判的に理解し将来に対する見通しを与えるところにあるとする線に沿うて井上清は「日本の新しい歴史教育,またその前提たる新しい歴史は,まづ皇室中心主義その他革命を恐怖する一切の史観を駆逐しなければならない. 近代歴史教育は,民衆が歴史創造の主人公として公然登場したことの認識にはじまつた」とした(世界 1-8「歴史教育について」)


歴史教育の行く道は何処に求むべきか. 安藤良雄(潮流2月)はその指標を「民主主義の精神」「批判的精神」「生産の重要性と労働の尊さ」を教えるにあるとして歴史教育はすべての科目,すべての教室に於て行われねばならず,また学校教育に止つてはならぬとした. これを更に明快に具体的方向に推進したのは伊豆公夫であつた. すなわち氏は「歴史観歴史教育の問題」(民主主義科学創刊号)において「歴史学者及び歴史教育の最大の課題は何をおいても真実を明かにする」ことによつて永年強制的に注入された天皇主義信仰を打破することが精力的に行われねばならぬとし,教科書はなくとも教育者が自主性を取戻し官僚機構と教化政策に盲従することなく真実を青少年に知らしめ,また自由に思考する方法を教えることにあり「教育者が研究者でなければならぬと同じく,研究者は教育者であらねばならぬ. そして両者の境界線は撤去せらるべきである」と,歴史学歴史教育の統一を現在緊要の課題として提起された. これは期せずして歴研の座談会における進歩的歴史家また歴史教育家の意見でもあつたことが想起される


しかも,こうした歴史家また歴史教育家の叫びをよそに人民と空気のへだたつた室内で新しい国史教科書の編纂は続けられた. 羽仁五郎は「新しい日本歴史テキスト」(朝日評論)を以てその反動化を防ぎ,正しい指針を与えるべく努力し,歴史学研究会はまた歴史教育分科会を新設し,会員の協力による最も民主的な教科書の編纂及び広く一般よりの懸賞募集をも企図したのであつたが,その具体化に手間どつている間に国史教育停止令約1年 1946年10月20日,「新憲法」の影を追う如く,小学校用として「くにのあゆみ」が,またそれについで中等学校用「日本の歴史」師範学校用「日本歴史」が公表され,これと共に「国史授業指導要領」が全国教育関係者に「伝達」され,ここに国史授業の再開が連合軍司令部から許可された


かつての虚偽と歪曲の歴史に対し真実の歴史を期待した民衆の心を反映して先ず「くにのあゆみ」をジャーナリズムは渇えた如くに取り上げた. 執筆の一人豊田武はその特徴として「真理探求の努力」「具体的に取り上げる庶民生活の実体」「豊富に採用する世界史的材料」の三点をあげ(時事通信)同じく執筆者の一人家永三郎は,さらにこれらに加えて「今まで歴史といふものは左右を問わず特殊な政治的主張の基礎づけに利用されがちであつた」ことを「望ましいことでない」とするがゆえに「新教科書ではつとめて公平な立場」をとり「正邪の弁別,優劣の批判はすべて被教育者の自主的判断にまかせることとした」といい,また村川堅太郎「封建的歴史教育で頭のかたまつた中年以上の人々が此の社会の大変動期に際しても一度先入見のない児童の気持ちになつて新しい歴史の見方を汲み取るのに此の本は好箇の入門書ではないかと思う」(人間2月)とかつての「國史」に比しての進歩を喜んだのであつたが,果してその言のままにわれわれはこれを迎えてよいであろうか



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