附記


『くにのあゆみ』批判への家永の応答は『家永三郎集』に,はいっていない.『家永三郎集 第16巻 自伝 付 著作目録・年譜』岩波書店,1999/03/17 著作目録にもない


家永三郎集〈第16巻〉自伝 付 著作目録・年譜


この記事は『くにのあゆみ』批判に関する次の『日本読書新聞』記事への対応として,家永が寄稿したものかも知れない. 【自分たちの特定の史観に合していないというだけの理由から出た非難が大多数…それらはすべて偏狭な政治的主張にもとづく批評…】で割り切って,批判の中身を知ろうとしないところは後に家永が批判する大達文相(『著作集』14-p.41)と変わらない態度であろう[*1]



*1:1947年の家永は『くにのあゆみ』の「それまでの国定歴史教科書からの進歩」を強調し,反動的であるとする批判(批判の論点は多岐にわたるが□皇室重視の記述,□侵略戦争への批判の弱さ等,多岐にわたる論点を【左からの公式主義】に纏めてしまう点で,批判を聞こうとしていない)を無視する. これは「戦後の歴史教育」(『岩波講座日本歴史22別巻1』1965年)でも変わらない=家永は「左からの『公式的』批判」を「もっとラディカルな教科書を書け」に読み替え,不充分な「進歩性」が批判されたと理解しているようだが,「皇室のあゆみ」になっている等の反動的な方向が批判されている点は理解しようとしない=ように見える