『日本読書新聞』No.387(1947/04/02)1-7

「くにのあゆみ」批判活発

民主的扮装を指摘 急進史家の追及急

連合軍当局をはじめ平和を愛する世界および日本の民主主義勢力の烈しい期待に応えて,昨年10月新歴史教科書「くにのあゆみ」が各方面多大の期待のうちに生まれたが,これに対して早速『歴史評論』第2号では別冊特輯発行[*1],石母田正,林基の両氏によつて論ばくの火蓋を切つたのにひきつづき,各新聞雑誌上で歴史学者はもちろん,各界有識者から熱心な検討がなされた. 特に民主主義的歴史家の間にあつては,その論ばくもきわめて熾烈で,近刊の『潮流』2月号で井上清,『日本評論』1月号では林基,『朝日評論』3[,4]月号の座談会では羽仁五郎,藤間生大,井上清の諸氏によつて忌憚のない批評がなされたが,これらの論議いづれも『くにのあゆみ』がいうところの『くにのあゆみ』ではなく,依然皇室のあゆみであり,支配者のあゆみであるという点に概ね一致している


先ず『日本評論』1月号で林基氏は編纂に係わる文部省の非民主的態度,秘密主義的措置を攻撃し,学者としての編纂者の立場を無視した--例えば(朝日評論,潮流)「日本のあけぼの」の章における古墳の説明で「身分の高い人が亡くなると」と編纂者が書いたものを,いつの間にか「身分の高い」という重要な5文字を抹消した如く--いわゆる監修者の責任を激しく追及している. しかもその内容は皇室中心史観によつて書かれ,如何に軍事主義的戦略を合理化せんと腐心していることに尽きると論破している


同様の見解をつよく示すものとしては「歴史家は天皇制をどう見るか」(新生社)によつて,天皇制批判の急先鋒として知られた井上清氏が『潮流』2月号で,本紙369号所載の家永三郎氏の編纂に当つての三原則[*2]を鋭く批判し「払われた細心の注意が真実を曖昧にするための細心」の努力であり真実の公正な取扱いと称しながら,実は「一つの思想を宣伝するという立場が濃厚」であると揶揄し,従来の政権争奪の歴史を排して国民生活の各方面を取扱い,上流階級のみでなく,人民の歴史も書いたという編纂者のあげる特徴は徒に断片的に羅列されるのみで,根本的には「生産力の発達,人民の異常に困難な,しかしたゆみない成長,それらが古い社会や国家をたおして新しい社会,新しい国家を形成するということが無視」されているとし,良心的な学者と教育者が共同して日本の民主化に役立つ真の人民の歴史の確立を要望している


『朝日評論』3月号においては羽仁五郎,中野重治,井上清,藤間大生,小池喜孝の諸氏に編纂者の岡田章雄,大久保利謙の両氏を交えて,真摯な共同研究がつづけられ各章句にわたる詳細な検討が展開された. 殊に羽仁,井上,藤間氏ら急進派は,たとえば蝦夷征伐,熊襲征伐の問題において奴隷獲得の事実を「すべて一つにするようにつとめました」とカムフラージュし大化の改新についても,国民に土地を与えて生活を安定させたという解釈は重い負担を取りあげるいう歴史事実の全くの段階であるとし,蒙古の襲来,承久の乱を軽視し武士階級の確立する経緯をぼかし歴史の上向線を最低限に抹殺し更に人民の盛り上る力にすべて「さわぎ」として誹謗し去つている等と厳然たる歴史的事実を隠蔽し,歴史の変革とか飛躍とか発展という面を全く無視し去つた欠陥を,口を極めて糾弾している


次に『人間』2月号の西洋史畑の村川堅太郎氏は「個々の史実については専門違い」という弁解の下に極めて好意的な感想をつづっている


その他最も異色あるものとして味読されるのは『改造』2月号におけるテイルトマン氏の批判で氏は英米両国の歴史教科書と比較検討し「若し日本の国家としての歴史が実際に,この教科書に叙述された如きものにすべて尽きるならば,日本は先祖の誇りもなければ子孫の希望も持たない驢馬(donkey,馬鹿者の意)に似たものであろう」ときわめて示唆に富んだ指摘をなしているが「これが日本である!」と自信を以て明かに示し得るような歴史の出現を,かかる外国人によつて要請されたことは史学者はじめ国民各層に深い反省をよびおこすものとして注目されている


これら集中的論議の対象となつている文部省ないし編纂者からはこれに対する明確なる反駁は示されずただこれは暫定的なもので今後改廃すべき余地を残しているとしているに過ぎず,強調するところの「わからないことはわからないままにしとく」という方針が急進派の意に満たず,これを史実の隠蔽,反動史観の温存と見なされる最大の要因ともなつているのではないかとみられている


なお先に発表された63制教育要綱によれば歴史教育が社会科に包合されることによつて,この『くにのあゆみ』は副読本ないし参考書的なものになることに決り,さらに児童生活にふさわしい新しい歴史の教材が作成される模様である(K)

*1:民主主義科学者協会発行『歴史評論』No.2 別冊特輯「くにのあゆみ批判」執筆は林基,石母田正歴史科学協議会『歴史科学大系 第31巻 歴史教育論』板倉書房,1994/08/15 p.69-p.80 id:dempax:19461215

*2:日本読書新聞』No.369(1946/11/13) id:dempax:19461113