『日本読書新聞』No.389(1947/04/23)1-11

くにのあゆみ : 編纂者の立場から

家永三郎

「くにのあゆみ」が世に送られてから既に半年を経た. その間に実際の教育に携わる数□方からも,また専門の歴史家側からも様々の批評が出た. その内,実際家の方面からの批評として最も多かったのは「くにのあゆみ」がこどもの要求を十分考慮しておらず,むつかしすぎるという不満であつた


編纂者の一人として,私はこの不満がある点においてあたつていることを認める. しかし「くにのあゆみ」が正しい国民生活の歴史を次の世代に伝えるという任務をもつかぎり,ある程度のむつかしさは克服されねばならないのであつて,教育技術の上でできるだけこの欠陥を克服するならば,その根本方針は認めれてよいであろう


次に,私たちは,専門家側の批評から,私たちの不注意のために生じた具体的な誤びゆうの指摘を期待していた. ところが加えられた批評は,自分たちの特定の史観に合していないというだけの理由から出た非難が大多数を占めていた. それらはすべて偏狭な政治的主張にもとづく批評であり,私たちが将来の改善のために参考にするに足るようなものはほとんど見出されぬ. もともと「くにのあゆみ」は偏狭なイデオロギーの宣伝を国定教科書から除去することを主要な任務として誕生したのである.「くにのあゆみ」が唯物論者や神道主義者から挟み撃ちに攻撃されている事実は「くにのあゆみ」が如何にこの任務を忠実に□展したかを証明するものであつて,編纂者の一人としてきん快に堪えない


「くにのあゆみ」にいろいろの不備のあることは勿論である. しかし「くにのあゆみ」が国定教科書であつて,個人の著書ではないということと,旧教科書と比べてどれだけの違いがあるかということと,これだけは「くにのあゆみ」を批評される方にぜひ考慮していただきたいと希望する (筆者は東京高師教授)