【1】


新しい時代は新しい歴史と,従つて新しい歴史教育をもたなければならないが,今度文部省でつくられた「くにのあゆみ」は果たして日本民族が当面している新しい時代にふさはしいものであらうか


敗戦までの歴史教育のどこがいけなかつたかは,今更言ふまでもないだらうが,主な点をあげれば,侵略主義的で,封建的で,極端に国家主義的で,神話を事実として強制し,つまり真実でなく,歴史学の業績に謙虚に従ふ代りに政府の必要によつてほしいままに作り上げられている,などの点に求められるだらう. したがつて新しい歴史教育は,侵略に対して批判的で,近代的,民主的で,且つ歴史学の成果に謙虚に従ひ真実に則したものでなければならぬことになる. そしてこの三つの点はばらばらなものでなく,お互いに関連したものである,つまり歴史上の事実に立脚すれば日本国家の行動には極度に侵略的な傾向があつたことが認められ,逆に侵略に対して批判的でなければ歴史の事実をかくさねばならぬことになり,又歴史の真実に即すれば日本の歴史は天皇や英雄や権力者の手によつてではなく人民の努力によつて進歩してきたことが認められねばならず,逆にかやうに民主的見地に立たねば侵略的にも虚偽にもなり,といつた関係があることが理解されねばならぬ. そこで,新教科書は,このやうな見地から見て満足すべきものとなつているだらうか


この教科書は部分的にはたしかに旧来のものよりは改良されているが,然し全体としてみれば,全く不充分なものであるといはなければならない


第一に,侵略主義に対する批判が全然欠けている点が著しい. 平和国家を口先で唱へるだけでなく,ほんたうに作らうとするならば,歴史教育に於ては,日本の過去に於ける侵略行為をはつきりと示し,それが当時の歴史情勢に於てどうして生じねばならなかつたかを明かにし,それによつてこれを生じないやうにするにはどのやうな条件が必要かを児童に教へなければならない. 然るに『くにのあゆみ』では,過去の侵略行為の多くを抹殺し,或は美化しており,稀に取上げてもその真実をついていない,従つて児童に侵略戦争とたたかふ力を与へ得ないものとなつている


第二に,国民生活を具体的にとりあげたといひながらも,それは単に御添物の域を脱せず,歴史を動かすものは依然として皇室であり英雄であり権力者であるといふことになつている


第三に,以上のやうな立場に立つ限り当然のことであるが,歴史の真実をかくしたりゆがめたりすることになつている


以上の三つの点を中心として,以下に時代を追つて見てゆかう


第一章日本のあけぼのは,聖徳太子,大化の改新までの時代を扱つている. ここで一番大切な問題は,日本歴史の一番はじめの時代の人民の状態の叙述と国家が何時頃どうして出来たかの問題であらう. 前者についてはただ彼らの生業や生活用具の叙述だけで,人間と人間との関係については一言もない. 中世以後の部分では,社会の階級別の構成と各階級の状態と相互の関係が不充分ながらも述べられている. 然るにこの方針は明治以後とこの時代については貫徹されていない. 科学的な研究はこの時代の社会が階級の差別のない血縁によつて結びついた共同社会であつたことを明かにしているし,且つこの点を明記することによつて次の国家の成立の歴史的過程も意義もくつきりと理解されて来るのである.「世の中が進むにつれて,すぐれた人が出て,多くの村をさしづするやうになりました」などといふあいまいなわかりにくい書方をする必要はない. 何時の時代でも社会の指導的地位に立つ人は,何らかの意味で,呪術でか家柄でか財産でか武力でか「すぐれた」個人であるが,時代がちがふにつれて異つた性格の「すぐれた」人が支配すること,そのちがひかたを明かにするのが歴史の仕事であるはづである. この場合には,富と奴隷によつてすぐれた氏族乃至古代家族の長であつたことは科学的研究の明かにしているところである. そして村々をまとめさしづする過程はほかならぬ征服討伐であつたことも事実である. これらの点を書かぬことは,侵略に対する無批判,史実の無視といふ点で不充分である


日本国家が神武天皇によつて始められたといふ叙述は,科学的に充分根拠あるものではない. 一体執筆者は神武天皇を何時の時代におくのであるか. 何時の時代か分からぬがとにかく「イワレ」といふ地名がその名の中にふくまれているから実在の人物だなどといふ議論(文部省図書監修官豊田武氏,時事通信時事解説版)は学問的にナンセンスである.


こんな不確実な記事をのせるよりも,3世紀頃の日本の状態をかなり詳しく而も正しく伝へた支那史料(魏史倭人伝)があるのだから,それによつて適当に叙述することが出来た筈である. この辺のところは,皇室を日本歴史の初めからの中心的な力としようとする政治的な意図が露骨にはたらいて,そのために学問的な真面目さが放棄されているとしか考へようがない


又朝鮮との関係を述べたところで,紀元前後から「九州の北の方の人々は,半島に渡つて,その進んだ文化をとり入れるのにつとめていたのです」. のち高句麗新羅任那を脅かした時「兵を送つてこれをたすけました. それからのちかへつて半島の国々と,いっそう深い交はりを結ぶことになりました」とあるが,これでは日本軍の朝鮮進出は正義の軍だといふことになる. この進出は史料が明かに語っているやうに奴隷と富の獲得が目的であつたので,任那を助けたのはあくまで自己の進出基地として獲ることが必要であつたにすぎないといふ歴史的事実と相容れない. なほ朝鮮に対する侵略の抹殺は首尾一貫していて,明治初年の征韓論の抹殺,或は朝鮮併合の記事にも見られる(【2】参照)


第二章開け行く日本は,聖徳太子から奈良時代を皇室中心の見方で書いている. 人民の状態は「しかし都の文化がこんなに栄えても,それをたのしんだのは,朝廷に関係のある身分の高い人々ばかりでした. 貧しい人民や地方の人々は,低いくらしをつづけました」とあるだけである. この時代の人民の状態の一番の特徴である奴隷が多数にいたといふ事実はどこにも書かれていない. これは現代が「資本と機械」の時代といはれるのと同じに,この時代を他の時代から区別する最大の歴史的特徴である,これを一言もしないのは意識的な作為としか考へられない


この時代の歴史としては,この奴隷の問題を相当に書き,その他公民の状態についてももつと詳しく書くべきであらう. この本では和気清麻呂のことなどが一項目として取上げられているが,これは忠臣を養成するために「皇室のあゆみ」を書くのならば必要だらうが,「国民のあゆみ」としてはけづつてもよいことだらうと思ふ. 他の時代についてもさうであるが,この教科書は,かういふ支配者の間のごたごたに頁を割きすぎている


第三章平安時代も,同じやうな書方である. 東北の遅れた民衆の征服や隷属化が,技術や産業上の教化や地方役人への取立てなどと美化されているのは,前述朝鮮侵略と同一の筆法である



続→id:dempax:19461214