『日本読書新聞』[*1]No.348(1946/06/05) 2-1

津田博士の「建国の事情と萬世一系の思想」を読みて

「科学性と神秘性」

中西功


『世界』1946年4月号の津田左右吉先生の「建国の事情と萬世一系の思想」といふ論文が問題の論文であることは私も早く編纂者たちから□□していた. その事情は同誌に収録された編纂者の書簡[*1]の中に刻明に書かれているため改めて述べる要は無いがわたくしたちが先生の論文やこの論文発表のいきさつなどを通して教へられることは天皇または皇室に対する日本国民の神秘的な考へ方が非常に根強いといふことである


農民の間に根強いことは多くの事実によつて示されているが,近代的,学問的教養の深いインテリの間にも一つの気分としてかなり広く存在していることは津田先生が身をもつて示されたわけである


しかし,この気分と旧来の絶対専制的政治制度としての天皇制とは別個のものであることは先生自身も認められているし,この気分はその人の立場や環境の如何によつて非常にちがつている. 農民は封建制度に反対して一致して戦っているが,その考へ方には保守と進歩の二つが交錯しており,その保守的考へ方が天皇崇拝気分と結びついている


また文化界にあつては,日本民族のよき伝統を愛し,新日本民族文化の興隆を心から念願している人々の中でも,民主主義的再生なくして日本民族の復興はなく来るべき新日本文化は民主主義及び社会主義を内容とすることが必至的なるを知りつつあつてもその民族形式の中に「民族伝統」としての皇室的存在が欲しいといふ人もある. 或ひは捨てきれないといふ人もあり,積極的に新文化の民族化と皇室存置とを結びつけたいと考へている人もある. わたくしたちは先生の説はこのやうなものとして考へたい


いふまでもなく,民主主義的,社会主義新文化は決して民族伝統を無視しない,いな,それこそ真の発展である. それは今まで文化活動に参加し得なかった労農大衆の中に伝えられた一切のよきものを掘り出し,また日本国民と文化の発展のためにつくした真の歴史的偉人を見出すからである. いま,ロシア諸民族がピュートル大帝をたたへている如く,われわれも亦日本歴史の中にかうした幾多の偉人を見出し,その中に現代の血を通はして敬愛し,世界に誇るであらう


しかし,それは日本の民主主義的・社会主義的文化の大衆がその解放闘争を通じて作るもので,その形式もまた一新を必要とする. 特に民族的伝統に対して大衆自身の徹底的検討を必要とするのであつて,少数の人々が豫め設定することは出来ない. またそれは政治行動と分離して発展し得ない


問題は古代の歴史にではなくここにあるが,日本の民主革命が当初,上から行はれ,政治制度としての天皇制が上からこはされているのに,その観念形態は殆どそのまま残っている. そしてまたいま反動勢力が大衆に示している「天皇制」は今までの上からの革命をやむを得ないこととして受け入れた新しい「天皇制」であり,或る人々は天皇儀礼的存在であるかの如く思ひ込ませようとしている. このために天皇制問題に混迷が起つて居り,大衆の政治行動と観念形態の間に矛盾がある. 軍部,官僚,大資本等の反動勢力は大衆の中に残存しているこの観念を唯一の政治資本として利用し,その反動支配を再編成しようとしている. そしてこの勢力が打倒されないかぎり日本の新文化は生まれない


今の日本民族の中心問題はこれである. それはまた文化問題の中心内容でもある. したがつて反動勢力の利用を封殺し混迷した非科学的な大衆の考へ方を克服することが急務であると共にその大衆の気分に対しては慎重な考慮が必要であるが,この問題も,そして新文化の民族形式の問題も結局,津田先生の如き民主主義者がこの大衆の偉大な民主主義的活動の中に飛び込まれさへすれば自然に解決する問題であると思ふ. 現に先生がこれを書かれた1月以来,僅に半歳のうちに,特にメーデーや食糧メーデーの大衆行動を通じて大衆は如何に目覚めたことであらう. また総選挙に「天皇護持」を唯一の看板とした自由党は民主政府の成立を極力妨害した. 先生もわれわれもこの事実の中から大きい教訓を引き出したい

*1:吉野源三郎「津田博士「建国の事情と萬世一系の思想」の発表について」=3段組8頁にわたる長文=『津田左右吉歴史論集』解説p.395,吉野源三郎終戦直後の津田先生」『みすず』1967→『職業としての編集者』岩波新書