正木ひろし「不道徳の淵源」 『法律時報』No.728(1946/4,5月合併号)

不道徳の淵源



私は弊原内閣の発表した憲法改正草案要綱は,天皇儀礼的にもせよ残存せしめるが故に道徳的見地より反対であり,弊原内閣が憲法問題に干与すること自体が既に怖るべき不道徳だと信ずる. それらの理由の若干を,紙面の都合上,メモ式に列挙し,諸賢の御参考に供し度く思ふ


戦争に対する天皇の責任無しとする者の法理的論拠は,天皇を神とするか,又は精神病者とするか,何れかでなければ解することが出来ない. 然るに天皇は街を歩く普通の人間である. 普通の人間であるとすれば,少なくとも盟邦と称した満洲国の皇帝や,シャム,ビルマ,ヒリッピンの元首に対しても,之を道連れとした道義的責任を負はせねばならぬ. 然らざる限り,日本国民は永遠に隣邦の軽蔑を招くであらう


日本の富の大半を失ひ,国の内外に対して非人道の限りを尽くした此の戦争は,日本の過去の文化一切に対する高価なる実験であった. この実験によって明かにされたことは,天皇制の根拠の虚妄たりしことと,君民一体とか,情は父子と称したことが佯はりであったこと,天皇の周囲に義人は集まらず,集まったのは悉く天皇利用の悪党であったこと,換言すれば不道徳の淵源,悪の巣窟は皇室を中心としていたことであった. 恰も皇室は肥大せる扁桃腺である


天皇制護持論者は宣戦の大詔なるものを天皇の責任と云はずして,終戦の大詔のみを天皇の功徳としてあげつらふが,近衛公の遺書(『週刊朝日』1946/2/24)に依れば,公は昭和20年2月14日に天皇に拝謁し,敗戦必至を上奏している. それに対して天皇は「結局和を乞ふとも国体の存続は危く戦って行けば万一の活路が見出されるかも知れぬ」といふ参謀総長の言を引用して答へ,皇室存続の万一の活路を得る為に,日本国民は半ケ年間の地獄的大消耗戦に曝され,その間に今日見る如き日本内地一切の焦土化が行はれたのである. これでも天皇は仁慈にして情は父子であるか. 新聞の写真で見ると皇子皇女は丸々と肥っている. 天皇の父子の情は皇子皇女にしか及んで居ない


護持論者は,護持せざれば国の統一が出来ず,流血の惨を見ん,といふ. 然しながら天皇に統一の力なきことは,戦争中,その股肱と称した陸海軍すら統一出来なかったし,流血の惨と称するも,天皇制下のこの戦争ほどの流血の惨に比すべきものは考へられず,拷問,人権蹂躙は天皇制下の日本ほどその残虐性の甚しかったものは世界史にも稀であったらう


護持論者は最後の遁辞として,皇室は日本の宗家なりといふ. これは愚民を欺く言語遊戯であって遺伝学上何等の根拠が無い. 若し皇胤を貴しと仮設するとしても,十代二十代と代を経るに従って皇胤は同族近親の結婚を続けない限り,一代毎に半減し,三十代を重ねる時には十億万分の一以下の皇胤性となり,百代の後には兆の万倍の万倍の万倍の万倍の万倍分の一即ち漢学流の名称に依れば溝分の一以下といふ全宇宙の星の数よりも大なる数を以て一粒の精子を分割した皇胤性となる. それ故に,日本人の恐らく何人と雖も天皇と同等又はそれ以上の皇胤性を有することになるので,誰が共和制の大統領に選ばれても皇統を名乗りたければ名乗って差支へないことになる


皇室は,その尨大な財産の点からも又梨本宮が自己を「お飾物」といった点からも,日本国民に対する遊民的寄生階級であって,その性質は絛虫に似ている. これに駆虫剤を与へても頭部一つを残す時は,間もなく連続する節を生じ,結局全身を衰弱せしめる


弊原内閣ほど全国民にあいそをつかされた悪内閣は存在しなかったに係はらず,天皇は彼を信頼し,彼も亦動物的執念深さを以て居座ったのは,彼が激流に抗する旧時代最後の内閣であり,絛虫の頭を残すか否かは,かかって彼の一呼吸の中にあるのを自覚したからで,彼はその目的の為には,あらゆる権謀術数と悪徳とを敢えて用いた. その一つは一般国民生活の窮乏を放任又は激化せしめて,新興階級の活動を全面的に抑へる一方に,旧勢力,戦時利得階級,天皇制存続便乗者に便宜を与へ,遮二無二に新憲法を通過せしめんとする. その方法は東条時代に翼賛議会を作ったのと同調異曲である. 東条が刑罰を用ひたのに対し,彼は飢餓を用ひた


拷問に震へる一般国民は,いまだに半ば本能的に権力追従事大主義に陥っている. この弱点を利用し,国民をして天皇制護持は国民の99%であるとか,天皇制反対は共産主義者だけであるとかいふデマを作成放送した. 太平洋戦前に於ても,国民は一人一人の時は戦争に反対しても,集団となると心にもなき賛成をしたが,それと同じ心理を利用するものである


海外から未だ復員しない同胞が400万以上ある. 彼等が帰国し,休養する以前に重大法案を審議決定することは不公正であり,卑怯であると思はぬか


特攻隊の如き残忍なる天皇思想は憲法の条文によったものではない. 天皇を存在せしめることが国民家畜化の淵源となるのだ



□初出 『法律時報』No.728(1946/4,5月合併号)


□出典 『正木ひろし著作集 第4巻 社会・法律時評』三省堂,1983/04/01 p.80-p.82



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