緒 言

長期に亘る過度の精神緊張は精神機能を疲労に陷らしむにより恰も長く張られたる線楽器の線の切れ易きか如く事故を起こす怖あり. 精神弛緩も亦危険を伴ひ犯罪頻発の原因となる


緊張過度は精神竝に神経病の誘因となり精神弛緩時には犯罪是れに伴へる事は今事変に於て特に目立つ所なり


依つて是等を豫防し其の発生を少なからしめ以て精神力を健康状態にあらしむる策を講する必要を痛感なすと雖も其の言や易く其の行や極る難きあり. 戦闘は精神緊張の甚しきものなれは戦闘休止と共に極めて適切なる精神休養を必要となすと雖も極度の緊張の後には疲労と共に精神の弛緩は免れ難き事実なり. 此の弛緩を徒らに放置なすことにより豫測せさりし悪結果を来しつつあるは其の休養の方法宜しきを得さりし為なるべく遂に却つて堕する所となり赫赫たる功績も不良なる行為により汚さる者多し


是に鑑み此處に各位の援助のもとに今事変に関連したる神経症病竝に犯罪につき調査の観察し基礎として将来のため其等の撲滅を図るへき方策を建つる要を感し此処に稿を起せし所以なり. 浅學能く其の要を説くを得さるを遺憾となす



昭和13年4月


於上海第一兵站病院

金澤醫科大学教授

豫備陸軍軍醫中尉


早尾乕雄



第1章「戦場神経症」[*1]


第2章「戦場精神病に就いて」

*1:1,2章の標題は『十五年戦争極秘資料集 補巻32早尾乕雄「戦場心理の研究(全)」第1分冊』不二出版,2009/02/25 岡田靖雄解説p.15に拠る