【国民精神総動員資料第二集】内閣情報部/何故の支那事変


【一】


『八□(あめのした)をおほいて宇(いへ)と為(せ)む』全世界凡ゆる国家をして各々其の處を得しめ、相寄り相扶(たす)けて万邦協和齋(ひと)しく平和な生存を享有(きやういう)せしむることは、広大無辺なる御歴代の大御心の存するところで、又実に國史を一貫して渝(かは)らぬ我が国是である。其の国是が具現されらるるところ闘争を絶滅し対立を□除(さんぢよ)し一家の様な和気藹々たる世界が現出せらるべく、此の境地こそは我日本民族伝統の一大理想であって国際正義の存するところも亦此の外に出づるを得ぬ。


然るに生きとし生けるものは何れも皆其の生を現在及将来に通じて完(まつた)うせんとすることは自然本然の欲求であって、この欲求は動々もすれば己に捉はれて他あるを顧みず、遂には相互に対立し上下に相克する所謂「ただよへる」現実の世界を現出する。この現実を矯(た)めて望ましい一家的の世界を想像して行くことは誠に人類に課せられた重大使命でもあり、又宇宙の大道、宇宙の大義の存する所でもある。苟も此の大義に悖り、暴を敢てせんとするものあらば、敢然戈(ほこ)を執(と)つて起ち、之に膺懲(ようちよう)の鐡槌(てつつい)を加ふるのは天地神明に誓って正義とするところである。我日本民族が中外に施して悖らず古今を通じて謬らぬ八□一宇の大理想実現に邁進するに際し、其の実現を阻むものあらば、断固として之を排除すべきは我等に課せられたる崇高な責務である。同時に独立して國なす力なき民族に対しては、我の長を以て之を扶助誘掖し、其の生を楽しむを得しむることは我日本民族に興へられた道義的の使命でもある。