長谷川テル/高杉一郎訳・解説『嵐の中のささやき』新評論,1980/05/15 p.153-p.158

中国の勝利は全アジアの明日への鍵である

日本のエスペランティストへの手紙



    長谷川テル



みなさん


すっかり御無沙汰いたしました. 日本のきびしい検閲のことを思うと,みなさんに自由におたよりするのが躊躇されます. そのうえに,こんどは戦争がおこつてもう2ヶ月半以上にもなり,わたしたちのあいだは完全にたたれてしまいました


しかし,これ以上沈黙を守りつづけることはできません. なにか力づよいものがわたしにペンをとらせます…だけど,いつたいなにからはじめたものでしょうか



みなさん. 自分がどんな民族に属していようと,人間らしい心と明晰な理性をもつている人ならば,かならず中国に同情するでしょう. わたしは畜生ではありません. わたしもまた正義について学びました. それで,わたしの頭から,たえずこういう疑問が離れないのです


-- いったい,わたしはなにをすべきなのか? ある同志たちのように難民や戦傷兵のためにはたらくべきなのか


しかし,わたしにはそれはできません. なぜなら,わたしは中国語さえろくに話せない無力な女性なのですから


ただ,さいわいにして,わたしはエスペランティストです. そうです.「さいわいにして」とわたしは言います. なぜなら,わたしがこの日本帝国主義とたたかう革命的な闘争のなかに小さな持場を見つけることができるのは,エスペラントのおかげだからです


いまや,わたしたちはエスペラントを国際的な武器としてもつとも有効に利用しなければなりません.「エスペラントをもつて中国解放のために」というのは,けつして紙のうえの美辞麗句ではないのです.『中国は吼える』(チニーオ・フルラス)その他の雑誌のために協力することは,わたしにとつて,ただひとりの外国のエスペランティストがうすつぺらな雑誌を発行するためにその貧弱な技術を役だてるというだけの意味ではありません. わたしがペンを手にすれば,心のなかには抑圧された正義を思う熱血が煮えたぎり,野蛮な敵にたいする怒りが火のように燃えあがるのです. また,わたしの心は中国の民衆とともにあるというよろこびにみたされます


お望みとあれば,どうぞわたしを裏切者と呼んでくださっても結構です. わたしはこれっぽっちもおそれはしません. むしろわたしは他民族の国土を侵略するばかりか,なんの罪もない無力な難民のうえにこの世の地獄を現出させて平然としている人びととおなじ民族のひとりであることを恥とします. ほんとうの愛国主義は,人類の進歩とけっして対立するものではありません. でなければ,それは愛国主義ではなく,排外主義なのです


戦争以来,日本にはなんとたくさんの排外主義者が生まれたことでしょう. むかしは意識的で進歩的な人間だとか,あるいはマルクス主義者だとさえ自称していたインテリゲンチヤが,反動的な軍国主義者や政治家たちの驥尾にふして,恥知らずにも「皇軍」の「正義」について太鼓をうちならしているのをきくと,わたしは怒りがこみあげ,嘔気をもよおしてくるのをどうすることもできません. かつて知識層に大きな影響をもっていた室伏高信は,日本民族はあたらしい世界を創造すべき使命をもっており,これをさまたげるものは誰であろうと滅亡をまぬがれない. したがって,現在の戦争はアジアの二大民族のあいだの宿命であると言っています. むかしは科学的社会主義者であった山川均は,強引にも中国軍隊の「鬼畜性」というふうに問題を提出し,中国の民衆は「鬼畜以上のもの」であるとののしっています. …


これ以上はもう言いますまい. この事については,あなたがた自身がわたしよりもずっとよく知っているでしょうから


みなさん. 人間というものは,こんなにもやすやすと,良心の最後のひとかけらさえもなげすてることができるものなのでしょうか. しかし,みなさん,わたしはあなたがたを信じております. ただの一歩といえども,あなたがたが彼らに近づかないであろうことをわたしは確信しております. なぜなら,進歩的なエスペランティスト,真実の国際主義者であるあなたがただけが,この戦争の意義と,それぞれの行動の正しい方向とを最後まで理解することができるのですから


中日両民族のあいだには,根本的な敵対感情などはなにひとつありません. 歴史をひもといてごらんなさい. その反対に,わたしたちはいずれの民族のがわにも親密な関係を見出だすでしょう. 1911年,辛亥革命の当時,たくさんの日本人がおとなりの民族の解放のために,みずからすすんで血をながしました. また数年前にも,両民族の労働者たちがプロレタリアートの解放のためにどんなにしっかりと手をにぎりあったことでしょうか


みなさん. わたしははっきりとおぼえています. 東京にいたころ,わたしたちがしばしばこの問題についてどんなに熱心に話し合ったかということを. そしてそのたびに,アジアにおけるエスペラント運動,ついでは全世界におけるエスペラント運動の促進のために中日両国のエスペランティストたちが協力することを熱心に討議しあったのを


昨年の春,わたしが日本を去るにあたって,この問題はとくに緊急なものとなりました. ところが,その後,いろいろな問題が起って -- 日本の警察の弾圧がそのなかでも最大なものですが -- その実現を妨げております


みなさん. いまこそ,そのときです. わたしたちはあなたがたの援助を切にのぞんでおります. 中国の民衆は,あらゆる協力を必要としております. どうして,あなたがたはそれを見て見ぬふりをして通りすぎることができましょう. じっさい,きょうこそは,きわめて直接的で真摯な形での,長期にわたる,有意義な計画の第一歩を踏み出すべき絶好の機会です. どんな小さな逡巡も、かならず何倍となって,あなたがたには悔いとなって残るでしょうし,わたしたちにとっては無念な思いとなるでしょう


その道がおそろしい茨の道であることは,わたしたちにはよくわかっております. しかし,いったいそれがなんだというのです? 死刑をもってする政府の脅迫にもかかわらず,反戦運動がすでに日本全土に燃え上がりはじめ,あるいはくすぶっているではありませんか. 上海に駐屯している日本軍隊のなかでさえ,厳正な軍規にもかかわらず,反戦びらが貼られています


みなさん. この戦争に中国が勝利することは,たんに中国民族の勝利を意味するだけではなく,日本をふくむすべての極東の被抑圧民族の勝利を意味するのです. それは,全アジア,そして全人類の明日への鍵です


みなさん. そうであるとすれば,いまさらなんで動揺していることができましょうか. この瞬間には,なんにもしないということも許すべからざる罪悪であることを記憶してください. しかしそのことについては,わたしはこれ以上いうべき言葉をもちません. なぜなら,わたしはあなたがたのかわらない同志的友情を最後まで信じているのですから


ああ,中国の兵士たちは,祖国の危機に際して,どんなにか英雄的にたたかっていることでしょう. しばしば,わたしは胸が高なるのをおぼえ,涙ぐみさえします. あなたがたもその眼でこれを見ることさえできたら…


しかし,あわれなのは,わたしの祖国の兵士たちです. 新聞の報道によると,上海にいる日本の軍隊で,先週戦死したものの数は一万二千人を越えると言います. それらの戦死者のなかに,あなたがた日本エスペランティストのうちのだれかがはいっていないかどうか,わたしには確めるすべはありません. いいえ,それは想像するだけでもおそろしいことです. 隣国の抑圧された民族を討ちにでかけ,いたずらに自分自身がたおれていく…みなさん. エスペランティストにとって,これよりも大きな悲劇がありましょうか


では,このつぎまた,おたよりします


みなさんの健闘と健康を祈って


1937年9月 上海にて