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南国市 第372回市議会定例会(開催日:2013/09/06)
【出典】http://www.city.nankoku.lg.jp/gijiroku/giji_dtl.php?hdnKatugi=1000&hdnID=631
一般質問3日目(福田佐和子)
質問者:福田佐和子
答弁者:市長、教育長、関係課長
○議長(野村新作君)
日程により一般質問を行います。順次質問を許します。19番福田佐和子さん
19番 福田佐和子君登壇
○福田佐和子君
おはようございます
私は、通告してあります平和行政について、防災について、そして選挙についてお伺いをいたします
平和行政についてまずお伺いをいたします
平和とは安心して暮らせること、平和とは一人一人が輝いていること、平和とは私たちみずからがつくり出すものです、という広島の平和祈念式での小学生の平和への誓いは、多くの人に感動を与えました。同時に、私たち大人が何をしなければならないのか、突きつけられた思いもいたしております。高新に掲載をされましたこの祈念式典に高知県の代表として参加をされた方は、見直し機運が高まる集団的自衛権、武器輸出三原則、日本も核武装を検討すべきだという政治家もいる。彼らは本当の戦争を知らないんじゃないか。政治がそういう発言をすれば、戦争を知らないまま意見に流される人もふえる。そして、核兵器廃絶を望むと言われながら、しかしそれだけで平和になるわけでもない。やることがある。対話による平和外交ができる世界にすること。民間も官も互いが交流し、パイプを広げ、理解し、平和を願う方向へ考えを変えていかなければならない。そして、今の日本に68年間で一番危うさを感じているというふうにも述べられたと報道をされております。68年目のことしの終戦の日は、無念のうちに戦死された皆さんの思いが伝わるような大変厳しい暑さでした。南国市の戦没者は、日中戦争以来1,845人、そのほかにもたくさんの方が戦争によって犠牲になりました。戦死された皆さんが命をかけて守ってくださった日本は、憲法9条を持ち、戦後武力によって一人の命も奪うことなく今日まで来ることができました。平和を守り抜くために戦争を語り継ぐことは、理不尽な戦争によって命も夢も家族も全て失うことになった戦没者の皆さんへの何よりの約束だと思います。そして、同じように、生きて戦後を迎えることになった皆さんが、抱えておられる痛み、苦しみにも応えることにもなります。生き残った身として、平和でなければならない、には特別の思いがある。二度と人が武力によって殺されることがないように、そのことをしっかりと見届けたい。国民の圧倒的多数は、平和を願っていると話された大そねの元先生は、8月13日の高新「声ひろば」で、「8月が来ると本土決戦一億玉砕の標語を思う」という書き出しで、8月の決意という御意見を投稿されました。北の島から南の島々まで、玉砕に次ぐ玉砕、そして沖縄の惨劇、最後が広島、長崎の原爆、そして敗戦、今日の日本の政府官僚は、安倍首相を先頭に、侵略戦争の加害と被害の歴史を学ぼうとしない。戦争の惨状も、死ぬ人の苦しさ、無念さも人ごとである。政権、軍事権を握り、日本国を思うとおりにと考えても、私たちは許さない。68年後の8月の決意である、と掲載をされました。8月には毎年高新文芸にも、平和や戦争の句が多く寄せられ、ことしは南国市の方で、「8月は6日、9日、15日、語り継ぐ日の3日を数う」といううたもありました。大篠の戦没者追悼施設には、忠魂碑と忠霊塔の2つがあり、地域の方が交代で清掃をされております。忠魂碑は、昭和5年に、在京軍人会大篠分会、この文言は現在削られて見ることはできませんが、削った後だけは残っていますと大篠村青年団によって建てられたものです。忠霊塔には、昭和27年、大篠村と刻まれ、建立の趣旨が村の名前によって刻まれております。先ほど市長にお渡しをいたしました写真です。ここに合祀する133柱は、日清日露の戦後以来、太平洋戦争終結に至る間、赤誠持って困難に殉じ民主日本の礎石となる。独立の年に当たり、村民相図りこの塔を建立し、感謝と崇敬のまことをささげ、もってその芳烈を千古に伝う。昭和27年12月大篠村。当時の村民から募集された和歌や俳句も同じように刻まれております。忠霊塔はしっかりと戦没者を守りながら、千古に伝うと記した当時の見識を見届けるように、きょうも建っております。戦没者の皆さんは、今、先ほど述べましたように、68年間で最も危険だと言われている日本をどんな思いで見ているのでしょうか
南国市の平和行政としては、8月6日広島、9日長崎への原爆投下時間と終戦の日15日正午にはそれぞれサイレンを吹鳴、戦争や原爆で亡くなられた皆さんに思いをはせ、黙祷をしています。議会は、非核平和都市宣言を全会一致で決議し、標柱は庁舎玄関右手に建っております。戦争遺跡の保存と5号掩体の公園化で、市長は平和教育に生かすことを決意をされております。毎年行われる掩体コンサートは、暑い中、ことしも100人を超える参加だったそうです。戦争遺跡については、市長答弁にもあったように、無言のうちに平和の大切さを訴えるものとして存在しています。市と地域の戦没者追悼式では、二度と再び戦争をしない、平和を守ることを誓っています。原爆投下や終戦の日のサイレンは、南国市がこれまで息長く取り組んできた平和行政の大事なものだと思っています。さらに、平和行政を充実させるために、年に1度、8月に誰でも参加できる平和を願う市民の集いをしてはどうかというのが提案です。お考えをお聞きをいたします
次に、はだしのゲンについてお伺いをいたします
松江市教育委員会は、原爆の悲惨さを描いた漫画はだしのゲンを閲覧制限にした後、委員会を開き、手続的に問題があったとして撤回しました。南国市委員会では、決してあり得ないことかもしれませんが、2点お尋ねをいたします
文科大臣は、松江市教委の閲覧制限に理解を示したそうですが、南国市には制限の陳情はなかったのでしょうか
また、撤回理由が、本の内容ではなく、手続上の不備だとするのは、納得できないという声が大変多くあります。南国市も平和教育に使ってきたと思いますけれども、今も変わらずこのはだしのゲンを平和教材だというふうに認識をしておられるのかどうか、お尋ねをいたします
このことについて、昨日の夕刊に、話題の欄に載っておりました。「腹が立つ、僕らはええことも悪いことも判断ようせんき、もう自由に見せんとってことやろ。見くびらんとってほしい」ということで、子どもの感性という題で子供さんの声が載っておりました。少年によると、ゲンは語りかけてくる漫画だそうだ。何かページをぱらぱらめくれん、手がゆっくり、じっくりになって、1冊読んで終わったらしばらく動けん、そんな漫画だという。首をはねるなど、過激な場面がある。松江市教委は、閉架の理由もそう説明した。少年もそうした描写は印象に残っているという。もう一回読みたい?と尋ねると微妙と言いつつ、自分が大きくなって子どもを持ったとき、自分の子には読ませたいと言う。だって、ゲンは小学生、大人になって読んだって、ゲンの気持ちには近づけんろう。8月末松江市の閲覧制限は覆り、ゲンは再び学校の本棚に戻った。表現の自由、歴史認識、手続上の不備、子どもには難しい言葉がやりとりされた騒動を眺めながら、少年らはシンプルに、そして明快に今回の事態を捉えていました。子どもは大人が思っている以上にたくましいし賢い。子どもたちの感性を見くびってはいけないというのがのっておりましたが、そのとおりだと私は思いました。教育委員会のお考えをお聞きをいたします
2つ目は、防災についてお尋ねをいたします。
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