抜き書き
□金重剛二『タスケテクダサイ』から
【小宮山量平(理論社社長・故人)刊行のことば】
(…中略…)タスケテクダサイ…という切迫した声(…中略…)どうかその声を聞いてください
もちろん,その切迫した声は着々と響きつつあります. 松江の石川さんは,小さながり版刷りの家族通信『みつばちしんぶん』で訴えつづけて,いつも岡部さんの声を伝える拠点となりました, 岡部さんの地元・山口では厚い支援の組織も生まれました…
【p.275 各地の「仁保事件守る会」(連絡先一覧)】
全国… 15(守る会)
松江…松江守る会 松江市内中原町199-3 石川利夫方[他は省略][1967/7/21 松江転勤(播磨信義『救援運動史』年表p.444)で雑賀町の借上げに引越し. 純が中学に入ってから県庁・椿谷・県立図書館近くの社宅に移る,朝起きたら2mの雪が積もっていた日があった][近所の日本基督教団の教会が火事で火柱を上げた事も思い出す]
□上野裕久『仁保事件/別件逮捕と拷問』敬文堂出版部,1970/9/10
【「はじめに-あなたもいつ無実の罪に落とされるか知れない」】
面会人吾も番号で呼ばるなり金網越の囚人の顔
無実にてつながれているか死刑囚岡部被告は歯も欠けしまま
無実をば叫びつづけて十五年刑務所の中で老ひて行く被告
十五年無実を叫びいる人に刑務所の塀は高く冷たし
人なつこき笑みを浮かべて話す人六人惨殺と思はれぬ笑み
一家六人惨殺の嫌疑に捕はれの岡部被告は吾と同年
ある日吾に懸けられるかも知れぬ疑に背筋を走る冷たき思ひ
拷問の疑の濃き自白調書一人の生命消されむとする
(1969年11月8日広島拘置所にて)
□播磨信義『仁保事件救援運動史』