【1】勅使河原彰『歴史教科書は古代をどう描いてきたか』新日本出版社,2005/07/10


歴史教科書は古代をどう描いてきたか


第III章 新しい憲法のもとではじまった歴史教育 - 占領下の教育と歴史教科書


【III-i】敗戦と国定歴史教科書『くにのあゆみ』


*「終戦詔書」と墨塗りの教科書


*占領軍の教育政策と「国史学習指導要領案」


*戦後最初の国定歴史教科書『くにのあゆみ』


ところで『くにのあゆみ』は文部省著作,つまり戦前・戦中の教科書と同様に国定教科書であった. また前述したように「国史学習指導要領案」が戦前の誤った「神話教育」を否定する立場に欠けていたことなどの弱点をもっていたことから,例えば「国のおこり」で「大和は今の奈良県にあたる地方です. 緑の山々に囲れたこぢんまりした盆地であります. そのころ最も有力なものが,この盆地からおこって,だんだん日本を一つにまとめたのであります. この大事な仕事をおはじめになり,畝傍山のふもとの橿原の宮で,最初に天皇の位におつきになった方が神日本磐余彦天皇[かむやまといはれひこのすめらみこと]といはれています」つまり第一代の天皇神武天皇だと記述していることに端的に現れているように,皇室中心主義を完全に払拭することができていないなど,批判されるべき問題を含んでいることは事実である…[*1][*2]



『歴史教科書は古代をどう描いてきたか』p.118-p.121

*1:家永三郎「新教科書の特色」(『朝日新聞』1946/10/21→『家永三郎集14 評論3[歴史教育・教科書裁判]』p.5-p.7)を引用し『くにのあゆみ』の積極的な面の記述が続く,が省略する

*2:古代:執筆担当は家永三郎

【2】歴史教育者協議会=編『歴史教育50年のあゆみと課題』未来社,1997/08/27


歴史教育50年のあゆみと課題


『朝日評論』朝日新聞社,1947年3月号,4月号→【座談会出席者】羽仁五郎,井上清,藤間生大,小池喜孝


座談会での『くにのあゆみ』批判の要点を以下に列挙する


「1. 日本のあけぼの」においては【氏と姓制度】が元来,【社会組織】という観点で十分とらえきれていない. また【蝦夷征伐,熊襲征伐】の問題も【奴隷獲得】としてとらえきれていない


「2. 開け行く日本」においては【大化の改新】によって人民がどうなったかということが出されておらず,したがって【大化の改新】と奈良時代の大仏建立との関連が不明確になっている


「3. 平安京の時代」においては,この時期が【古代の没落】の時代として把握されておらず,したがって【古代の担当者である貴族がどれほど腐敗堕落したか,そのために民族の生命が非常に危うくなった】ことなどがとらえきれず,武士社会への発展の過程が明かでない


「4. 武家政治」においては【ただ政権が貴族から武士に変ったのではなく,社会が変ったのだ】という点が出ないため,そういう視点からは欠くことのできない【承久の乱】が欠落しており,それと対照的な【建武中興】が不当に大きく位置づけられている


「5. 鎌倉から室町へ」においては【新しい時代への動き】としての山城国一揆や堺の自由都市のことが正しく位置づけられていない


「6. 安土と桃山」においては,検地とか刀狩の問題が【封建支配の再編成の問題】として把握されていない


「7. 江戸幕府」においては,とりわけ封建社会における支配階級と人民の立場との違いが不明確であり,そのため一つ一つの字句の使い方にも問題がある


「8. 江戸と大阪」においては「7.」と同じ問題点とともに,加えて【農村のすがた】や【百姓一揆】の問題にふれていない. また八代将軍・吉宗の時期が社会経済史的観点からみても重要であるにもかかわらず平板に書かれているため【時代のうごきがわからない】ものとなっている


「9. 幕府の衰亡」においては【封建制度を打破して明治維新ができたのであって,その封建制度を打破しなければ明治維新はできなかった】という観点のもとに【その打倒の関係をもっとはっきり】出すことが重要である. したがって【商業資本がなにかで腐ってぐずぐずと崩れてもちきれなくなって明治維新になった】という【腐敗史観】は問題があり,これでは【国民の自尊心を高める】ことはできない


「10. 明治の維新」「11. 世界と日本」「12. 大正から昭和へ」といういわゆる日本近現代史においては【子どもたちが現在というものをつかまえなければならない,そうとう大事なところ】という観点が必要にもかかわらずこの観点は不明確である. また,この日本近現代史が【五箇条の御誓文】に始まり,1946年1月1日の【天皇人間宣言詔勅】で終わるという天皇中心主義的内容になっている


以上の『くにのあゆみ』批判の要点の全体的特質は,日本の歴史を「社会の形成・発展の観点」からとらえる立場からの批判であり,そしてその立場こそが社会の形成・発展を支える人民・民衆の生活とそのたたかいの立場でもあることを強調すべきだとするに見出される


したがって日本史教育の重要な課題として,歴史学の成果に依拠しつつ,いかに社会構成史的な視点で人民・民衆の民主主義的な伝統を組み込むかが提起されていたのである. まさに戦前の歴史教育・日本史(国史)教育から一貫して不十分ないし欠落していた問題点が洗い出されたところに,その批判の積極的意義が見出される


歴史教育50年のあゆみと課題』p.37-p.39


井上清『くにのあゆみ批判』解放社,1947年 [*1]

*1:井上清の批判について,家永三郎「戦後の歴史教育」p.321が少しふれている

【3】高橋眞一『歴史教育とわが人生』三省堂,1984/08/05


歴史教育とわが人生


IV章 戦後の疾風怒濤→歴研の再建と『くにのあゆみ』批判


ぼくが,戦後いちばん最初に運動的な動きに多少関係したのは自由懇話会だった. それも,だれが案内してくれたというわけではなく,朝日新聞に,交詢社の何号室で自由懇話会があると書かれていたのを見ていったのだった…交詢社というのは学生時代,研究発表などに使った慶応のクラブのようなものだったから,懐かしくもあり,交詢社の自由懇話会の会合へ出たのだった…そして46年の秋,この自由懇話会で『くにのあゆみ』批判の会をする,講師は伊豆公夫先生だという. ぼくは戦争中,伊豆先生の本を読んでいた. 唯物史観の立場で詩を書いて投獄されたことなども聞いていたから,その謦咳に接しようと思って出席した…30人ぐらい参加していただろうか. そうしたら新島[繁]さんは組織者なのだろう,いきなり「今日は伊豆先生の講義のあと,講師として安部眞琴先生,田中惣五郎先生,金沢甚衛先生,高橋眞一先生をお呼びしている」という. 少なくともぼくは,呼ばれたのではなく,一参加者だったのだが,他の人たちといっしょにしゃべった. そしてNHK,当時のJOAKが録音して,すぐラジオで放送された. そして,その録音が本[p.74に表紙書影『「くにのあゆみ」を検討する』]になった. これが『くにのあゆみ』批判のトップだったろう


[…一段落,省略…]


46年の秋に小学校用の『くにのあゆみ』,中等学校用の『日本の歴史』が,文部省から発行され,日本史の授業も再開された. だが,ぼくはいささかがっかりした. 戦争が終って,今度はいい教科書が出るかと思ったが「これでは」という気持ちだった…47年には民科の『科学年鑑』に「『くにのあゆみ』をめぐって」を書いた.短い枚数ではあったが引用もきちんとして力を入れて書いた…


[書影]自由懇話会編『「くにのあゆみ」を検討する』人民新聞社出版部,1947年?


伊豆公夫→赤木健介 I-p.27


金沢甚衛


田中惣五郎 III-p.340[*1]


安部眞琴


新島繁[*2]


高橋眞一[眞は石扁]


高橋眞一「『くにのあゆみ』をめぐって」/民科『科学年鑑』1947 → 下記【7A】参照[標題は「歴史教育の諸問題」]

*1:ローマ数字と頁数は社会運動人名事典

*2:新島繁=野上繁→『高橋眞一著作集 第9巻 歴史教育運動II』p.321「ある自由人の死-新島繁さん」

【4】松島榮一『歴史教育の歴史と社会科』歴史教育者協議会(発売・青木書店),2003/12/05


歴史教育の歴史と社会科


解説…佐藤伸雄「松島榮一・人と仕事」戦後歴史教育史に関する文献をあげている…例えば【5】家永三郎「戦後の歴史教育

【5】家永三郎「戦後の歴史教育」『岩波講座 日本歴史 22 別巻 1』岩波書店,1968/03/11 p.311-p.358 →『日本思想史学の方法』名著刊行会,1993/03/08


日本思想史学の方法 (歴史学叢書)


p.318 注(4)家永三郎「『くにのあゆみ』編纂始末」 唐沢富太郎『教科書の歴史』所収 → 下記【9】参照

千葉大学附属図書館


【6】井上清『くにのあゆみ批判 - 正しい日本歴史』解放社,1947/06/20 【L2B 210.1/KUN/】[*1]→井上清『くにのあゆみ批判-正しい日本史』序文 id:dempax:19470620


【7A】民主主義科学者協会『1947年版 科學年鑑』日本科學社,1947/11/15 【復刻】『明治・大正・昭和前期 雑誌記事索引集成65』晧星社,1997/07/05 【K2参考 参考/027.5/ZAS】 p.250-p.258 第1部 動向→社会科学 高橋眞一「歴史教育の諸問題」id:dempax:19471115 → 『高橋眞一著作集 第5巻 新しい歴史教育への道』あゆみ出版,1984/08/10, p.131-p.142「「くにのあゆみ」をめぐって -歴史教育時評-」→家永三郎「高橋眞一君と私」高橋眞一著作集月報 2 id:dempax:19840810


明治・大正・昭和前期 雑誌記事索引集成―社会科学編


【7B】民主主義科学者協会発行『歴史評論』No.2 別冊特輯「くにのあゆみ批判」執筆は林基,石母田正[*2] →歴史科学協議会『歴史科学大系 第31巻 歴史教育論』板倉書房,1994/08/15 p.69-p.80に収録 id:dempax:19461215



【8A】歴史学研究会歴史学研究』No.126(1947年3月)p.54-p.56 会報→歴史教育分科会…第2回研究会(1946/12/14)『くにのあゆみ』『日本の歴史』検討会の報告【1F和雑誌/電動書庫「レ20」】


【8B】遠山茂樹『日本歴史叢書 戦後の歴史学と歴史意識』岩波書店,1968/6/ 『遠山茂樹著作集 第8巻 日本近代史学史岩波書店,1992/01/07 p.1-p.244 →id:dempax:19680615


遠山茂樹著作集〈第8巻〉日本近代史学史


【8C】中村政則「現代民主主義と歴史学」→6. 抵抗権を中核とする思想史研究 id:dempax:19710630 歴史学研究会/日本史研究会編『講座日本史 10 現代歴史学の展望』東京大学出版会,1971/06/30


ASIN:B000J9E0XK



【9A】唐澤富太郎『教科書の歴史 - 教科書と日本人の形成 -』創文社,1956/01/31【L3B 電動 375.6/KA62】 →『唐沢富太郎著作集 7 教科書の歴史(下) 教科書と日本人の形成』ぎょうせい,1990/04/25 p.326-p.338 → 家永三郎「「くにのあゆみ」編纂始末」(の一部) 【K3A 370.8/KA62/09001405】


教科書の歴史 (唐沢富太郎著作集)


【9B】家永三郎『一歴史学者の歩み』岩波現代文庫 社会79 2009/05/16 (解説…鹿野政直, 底本:『家永三郎集 16 自伝』岩波書店,1999)


一歴史学者の歩み (岩波現代文庫)


【9C】家永三郎「新歴史教科書の特色」『朝日新聞』1946/10/21 2面[学芸]欄 →『家永三郎集 第14巻 評論3 [歴史教育・教科書裁判]』岩波書店,1998/08/06 p.5-p.7 →【海賊版id:dempax:19461021


家永三郎集〈第14巻〉評論3(歴史教育・教科書裁判)


【9D】「くにのあゆみ」理解のために 家永三郎氏にきく『日本読書新聞』No.369(1946/11/13) id:dempax:19461113


【9E】家永三郎「くにのあゆみ : 編纂者の立場から」『日本読書新聞』No.389(1947/04/23) id:dempax:19470423




【おまけ】文部省『くにのあゆみ』上下(復刻版)【L3B 電動 375.9/M31/3282261-62】


*1:TODO:序文と目次の海賊版作成

*2:歴史評論』No.2(1946/12月号)表紙および裏表紙目次による…別冊特輯は残念ながら合本にない. TODO:『歴史評論』教科書関連記事一覧作成