國史大辞典を読む…朝鮮人強制連行問題

歴史学で使われる【強制連行】の意味を調べてみよう. 赤字強調は紹介者による[*1][*2]

*1:WAMの記事(2014/09/17)から【意に反した連行がわかっても日本軍は解放せず、逃げられない状況の中で日本兵の性の相手を強いた、この事実は消えないので結論は変わらないわけです。連行形態が暴力的なのか、詐欺的なのか、人身売買なのかは、奴隷状態にあったかどうかを判断する決定的な要素ではありません。木だけではなく、きっちり森を見ているクマラスワミが報告書を撤回しないのは当たり前ということになります】

*2:この記事の目的はもちろん, 極右否定妄想家たちの【「強制連行」がなかったから,「慰安婦」は嘘】攻撃の二重の欺瞞の構造を検討することにある, 『朝日新聞』2014/08/05「慰安婦報道検証記事」【慰安婦問題/どう伝えたか/読者の疑問に答えます】では日本軍性奴隷制度の始まりを満州事変翌年(1932年)の上海としており, 1942年に労務報国会下関支部動員部長となった吉田清治氏の証言が, 日本軍性奴隷制度の末期に限られた証言であることは明らかであろう. 「慰安婦報道検証記事」第1項「強制連行」では強制連行の定義を【A. 官憲の職権を発動した「慰安婦狩り」「ひとさらい」的な連行=秦郁彦】【B. 「軍または総督府が選定した業者が略取・誘拐や人身売買により連行」した場合を含む=吉見義明】二種類の定義があるとした上で, 日本の植民地であった朝鮮・台湾では【貧困や家父長制を背景に売買春業者が横行し, 軍が直接介入しなくても就労詐欺や人身売買などの方法で多くの女性を集められた】. 一方【インドネシアなど日本軍占領下の地域では, 軍が現地の女性を無理矢理連行した事実を示す示す史料】がある. と地域・時期による違いを確認してから「読者のみなさまへ」では【共通するのは女性たちが本人の意に反して慰安婦にされる強制性があったことです】と纏めている=いわゆる広義の/狭義の強制連行をぐだぐだ使わない, 巧みですっきりした説明をしている

秦郁彦先生や藤岡信勝先生は【徴集】段階で暴力を使わず親切・丁重に若い娘を慰安所へ送り込めば平気のへいざらしい. 誇り高きにぽんじんとは恥ずかしい存在じゃのうガハハハ

【解説】朝鮮人強制連行問題

15年戦争の泥沼化に伴い労働力を戦闘要員に徴兵された日本各地の炭鉱をはじめ,各分野の労働力不足を補うため朝鮮人労働者を移入,補充しようとした政策. 昭和13年(1938)4月「国家総動員法」を公布した日本は翌年1月「国民職業能力申告令」,同年7月「国民徴用令」など労務関連の勅令を相次いで発令した. これらの法令はのちに朝鮮にも適用されたが,当初,朝鮮ではまず労働力不足に直面した各企業の募集形式の「労務動員計画」を実施した. 民族的反発を懸念したためであった. 神社参拝,日本語の常用,創氏改名などの皇民化政策の実施など朝鮮での戦時体制の確立と並行,労働力徴発行政は次第に大々的に強行され始めた. 同15年の「朝鮮職業紹介令」の公布, その一方移入労働者への「従業員移動防止令」「国民労務手帳法」の適用, 16年6月朝鮮労務協会の組織, 12月「国民勤労報国協力令」の施行など朝鮮人労務者に対する拘束と抑圧の強化は急ピッチであった. 対米英との戦争後,さらに多くの労働力を必要とした日本は1942年3月「国民動員計画」をうちだし,官憲の力を借りた(官斡旋方法)強制的な労働力徴発を始めた. 19年8月からは官斡旋を存続させる一方,国民徴用令を適用し,呼び出し一つで即動員体制まですすんだ. 企業募集・官斡旋・徴用などそれぞれ形式は異なっていても, すべて国家権力の動員計画により, 軍部・官憲・資本家が一体となり強制的に動員した点では相違はなかった.



連行者は北は樺太から南は沖縄まで全国各地に配置された. 連行者の総数は14年から20年まで約120万に達し, そのうち19年に約38万,45年に33万をかぞえた. 労務の種別は炭鉱がもっとも多く49.3万, 金属鉱山11.3万, 土建17.6万, 工場その他30.4万といわれている. 軍属として前線の基地設営に従事して「玉砕」したもの, また「女子挺身勤労令」による婦女子の動員,そのなかには数万の「従軍慰安婦」もいる. こうして20年8月には在日朝鮮人の人口は約250万をかぞえた. それは当時の朝鮮の総人口の1割にあたり,在日朝鮮人のルーツである. 民族差別による迫害,過酷な労働に特徴があり,多くの犠牲者が生じた. ⇒在日朝鮮人問題


【執筆】姜徳相



【関連用語】女子挺身隊⇒id:dempax:19881001