【解説】朝鮮人強制連行問題

15年戦争の泥沼化に伴い労働力を戦闘要員に徴兵された日本各地の炭鉱をはじめ,各分野の労働力不足を補うため朝鮮人労働者を移入,補充しようとした政策. 昭和13年(1938)4月「国家総動員法」を公布した日本は翌年1月「国民職業能力申告令」,同年7月「国民徴用令」など労務関連の勅令を相次いで発令した. これらの法令はのちに朝鮮にも適用されたが,当初,朝鮮ではまず労働力不足に直面した各企業の募集形式の「労務動員計画」を実施した. 民族的反発を懸念したためであった. 神社参拝,日本語の常用,創氏改名などの皇民化政策の実施など朝鮮での戦時体制の確立と並行,労働力徴発行政は次第に大々的に強行され始めた. 同15年の「朝鮮職業紹介令」の公布, その一方移入労働者への「従業員移動防止令」「国民労務手帳法」の適用, 16年6月朝鮮労務協会の組織, 12月「国民勤労報国協力令」の施行など朝鮮人労務者に対する拘束と抑圧の強化は急ピッチであった. 対米英との戦争後,さらに多くの労働力を必要とした日本は1942年3月「国民動員計画」をうちだし,官憲の力を借りた(官斡旋方法)強制的な労働力徴発を始めた. 19年8月からは官斡旋を存続させる一方,国民徴用令を適用し,呼び出し一つで即動員体制まですすんだ. 企業募集・官斡旋・徴用などそれぞれ形式は異なっていても, すべて国家権力の動員計画により, 軍部・官憲・資本家が一体となり強制的に動員した点では相違はなかった.



連行者は北は樺太から南は沖縄まで全国各地に配置された. 連行者の総数は14年から20年まで約120万に達し, そのうち19年に約38万,45年に33万をかぞえた. 労務の種別は炭鉱がもっとも多く49.3万, 金属鉱山11.3万, 土建17.6万, 工場その他30.4万といわれている. 軍属として前線の基地設営に従事して「玉砕」したもの, また「女子挺身勤労令」による婦女子の動員,そのなかには数万の「従軍慰安婦」もいる. こうして20年8月には在日朝鮮人の人口は約250万をかぞえた. それは当時の朝鮮の総人口の1割にあたり,在日朝鮮人のルーツである. 民族差別による迫害,過酷な労働に特徴があり,多くの犠牲者が生じた. ⇒在日朝鮮人問題


【執筆】姜徳相



【関連用語】女子挺身隊⇒id:dempax:19881001