問題の所在

映画『否定と肯定』評の幾つかを読むと■■被告と弁護団との対立・被告の弁護団への不信・不満■■を強調する記事が目立つ


弁護団への不満の具体的な内容は


(a)法廷の内外 公的な場で【被告が裁判について語ること】を弁護団が禁止した


(b)【生き残りたちが裁判の証人となり否定者を糾弾する望み】を持ちながら弁護団は禁止している【生き残りと要求を共にする】リップシュタットは弁護団と鋭く対立する


とまとめることが出来るだろう


疑問に思うのは


リップシュタット『ホロコーストの真実』冒頭の章で リップシュタットは


(1)


(2)


の二点を否定者とたたかう際の大原則として説明している(PENGUIN,初版 1993年,滝川義人訳,恒友出版,1995/11/07 p.33-p.90) リップシュタットの原則は【弁護団指示】の根拠とはなっても【弁護団指示】と対立する原則ではないはずだ


また 原作の邦訳 山本やよい訳『否定と肯定ハーパーコリンズジャパン』ハーパーBOOKS(以下 『原作邦訳』と略称する)を読むかぎりでも(a)(b)のような対立は見付からず[*1] 映画評の評価は不思議極まりない[*2]

*1:被告と弁護団・支援者の間に裁判方針上の深刻な対立が生じることは 各々の立場が異なる以上 珍しいことではない 例えば国家賠償請求訴訟に勝ってお金の使い方をどうするか?元被告に全額引き渡すのか 残されている冤罪事件支援に廻すべきか等々 その範囲で被告が弁護団へ不安・疑問・時には不信を持つのは当然

*2:『潮ushio』第三文明社 No.707 (2017/1)p.102 - p.107 インタビュー記事「ホロコーストを巡る真実を懸けた信念の法廷闘争 ホロコースト否定者と歴史学者の問いが問う歴史の真実とは」のリップシュタットの説明を読み 私の受け取り方が間違っているらしいことを確認した