東京新聞 2017/1/26 27面 本音のコラム

流言飛語

    竹田茂夫



西崎雅夫氏の労作『関東大震災 朝鮮人虐殺の記録』は暗たんたる証言集だ。未曾有の天災に追い打ちをかけるように流言飛語が避難民の間を駆け抜ける - 大津波や富士山爆発、「主義者」の破壊活動、朝鮮人襲来、等々。日常に隠されていた異民族への差別と抑圧が生々しい恐怖感に反転し、瞬く間に伝播する


和辻哲郎の証言にあるように知識人でさえこの反転を免れない。民衆は町ごとに自警団を組織し、時には警察の制止を振り切って集団的殺人に及ぶ。社会の奥底に潜む暴力性が劇的な形で現れたのだ。抜き身の集団に遭遇した折口信夫は「平らかな生を楽しむ国びと」の実相を知る


米国大統領選中の偽ニュースや情報カスケード(周囲のまねをする行動の連鎖)は、その始点に明確な政治的意図があったにせよ、ラジオのない時代の流言飛語と構造は同じで、他の先進国にも広がる構えを見せる。新自由主義グローバル化に痛めつけられ怒りを内向させた白人労働者層は、トランプ氏の現実を捏造してでも押し通す差別と排除の価値観に取り込まれていく。H.アーレント全体主義の起源』が言うように、独裁支持の民衆が求めるのは事実ではなく単純明快な解釈図式なのだ。朝鮮人襲来の噂はすぐに消えたが、トランプ政権の嘘は苦痛に満ちた幻滅の末に明らかになるはずだ