【下書】片貝米軍

千葉県議会史編纂委員会『千葉県議会史』千葉県議会,1988/3


基地と射撃演習のために九十九里浜一帯の漁業や住民被害に対して当初はなんら有効な対策や運動はたてられなかった. この最初の対応は日本共産党山武地区委員会と片貝細胞によって行われた. 1949年8月末に, 片貝町に砂間一良衆議院議員の出席の下に日本共産党は約500名を集めた演説会を開催した. この演説会では, 全面講和の実現によってソ連・中国海域への出漁希望を持てることや, 演習による漁業被害の国家補償を要求すべきことが説かれた. この秋から翌年2月にかけて片貝町を中心に基地問題と漁業補償への関心が急速に広まっていった. 1950年2月21日の国際反植民地闘争デーに日本共産党は大規模な街頭演説を実施した. 翌日からCIC日本共産党員の取り調べを開始した


4月10日付けで連合軍総司令官マッカーサー元帥の名の下に小松七郎ら9名の日本共産党員が「占領目的阻害行為」をもって告発された. 軍事裁判所は4月27日から埼玉県朝霞の「ドレーク兵営内の法廷」で開かれこの軍事裁判に抗議する無罪の要求と署名運動が始まった. 5月5日に判決が下り, 小松七郎ら人に重労働1年という内容であった. 占領軍の日本共産党などに対する弾圧は運動の指導力を弱めたが, 一方では, 九十九里沿岸漁業への国家補償要求の署名運動が始まった. 山武郡町村会は陳情を決議し, 県揚繰漁業共同組合はGHQに対する「演習時間の短縮もしくは損害の国家補償」の嘆願書を提出した. また, 九十九里沿岸の漁業経営者, 網元たちの漁業振興協議会も県知事, 県議会の助力で, 漁業と関連業の設備転換資金の融資と漁民の生活資金などを政府に請願した. 年から漁業損失補償が支払われることになるが, 基地は1957年5月8日に射撃演習が中止され, 12月に基地撤去が決定した. …


【p.622より】