私がお話しすること, 皆さんと意見交流したいこと


    松村高夫


■現在, 日本の侵略戦争, 植民地支配が生み出した南京虐殺, 731細菌戦, 毒ガス戦, 強制連行・強制労働, 従軍慰安婦等々の「歴史認識問題」を日本政府は, 未だ歴史的事実として認めていません. 今年8月の「安倍戦後70年談話」でも「侵略」「植民地支配」は事実とは異なった脈絡で使われており, 日本政府がその責任をとる姿勢は全く見られませんでした


また1990年代から中国人などの被害者が日本政府に対して事実を認めよ, 謝罪せよ, 補償せよと提訴した一連の「戦後補償」裁判も, 2007年5月に最高裁で一斉に原告敗訴の決定がなされました


国家による公式な事実認定, 謝罪, 補償なしには真の友好関係は生まれません. 日本と韓国, 中国, その他東アジアの国々との市民レベルでの友好関係・連帯の輪は, 近年多少弱くはなっていますが, 民間友好関係の拡大強化こそが, 戦争を阻止する真の力であり, 安倍政権の強行した「戦争法」を発動させない真の力だと確信しています



■次に冒頭に挙げた未解決の諸問題の中から731部隊・細菌戦を具体的事例として取り上げたいと思います. ハルビン郊外平房の731部隊における3000人以上の人体実験と同部隊で製造された細菌弾の1940〜42年の中国10数地域への投下による多数の犠牲により, 中国人は民族としては「二重に殺害」されました


これに対応して, 1995年に人体実験の犠牲者遺族が, 1997年(と1999年)に細菌戦被害者と遺族180人が代表訴訟を起こし, 日本政府に対し事実を認め謝罪し補償せよと要求しました. 以後10年間は二つの裁判が併行して進行しますが, 前述したように2007年5月最高裁で口裏を合わせた戦後補償裁判の一斉原告敗訴のなかで, 731・細菌戦の二つの裁判もまた敗訴になりました. これは司法が第一次安倍内閣の行政に従属・屈服した典型例でした


■最後に日本の侵略と植民地支配から生じたこれらの諸問題が, なぜ放置されたままできたのか. 日本政府が責任をとろうとしないことがなぜ許されてきたのか. こうした問題を考えてみたいと思います


1945年の敗戦までに日本の学者,宗教者,文筆家,社会運動家,音楽・美術の芸術家などが軍部のまえに総崩れとなりました. そしてより問題なのは, 天皇731部隊員だけでなく「知識人」のほとんどが戦後自己批判することなく民主主義者として, あるいは社会・平和運動家として, 戦前のポジションに復帰していったことです. これは西洋では考えられないことです. その結果, 戦後の日本の民主主義は根付かず, 不安定なものでありつづけました


私は福島3・11により, 人類史は「緩慢な大量虐殺」の段階に「本格的に」に入ったと考えています. 「序曲的」には広島長崎でしたが, 学術研究の場でも, 例えば経済学でも歴史学でも福島により有効性を失ったと考えています. 専門家は視野狭窄になるので, これ以上依存するわけにはいきません. ですから, 一人一人の市民が歴史家になり, 科学者にならねばならないのです


いままでの専門家の歴史学では, イフは歴史学にはないとする考えから, 事後均衡論的に起こった事実を辿っていくのが主流でした. それは『歴史の不可避性』を書いたアイザイア・バーリンが『歴史とは何か』の著者E.H.カーを批判したように結局「勝者の歴史」になってしまい, 敗北者・支配される者・被害者の歴史は射程に入ってこないことになります. そこでは責任の問題が問われないことになります. 「責任の歴史学」が今後必要とされているゆえんです. それは専門家には期待できず, 市民によって構築されうるのです. それを共に考えていきたいと思っています





□松村高夫編『〈論争〉731部隊晩聲社,1994/4


論争 731部隊



□松村高夫他編『満州鉄道労働史の研究』日本経済評論社,2002/4


満鉄労働史の研究



□松村高夫他編『満州鉄道の調査と研究/その「神話」と実像』青木書店,2008/7


満鉄の調査と研究―その「神話」と実像



田中明・松村高夫『十五年戦争極秘資料集(29)731部隊作成資料』不二出版,1991/8/20



□松村高夫・松野誠也『十五年戦争極秘資料集(補巻27)関東軍化学部・毒ガス戦教育演習関係資料』不二出版,2006/12/25