第5回大会出席のために日本脱出【p.197-p.199】


1930年4月頃, 党上級と連絡の切れていた私は田代文久同志と連絡がついて, 三多摩の農村の長い道を長いこと二人で歩いて畑の中の一軒家[*1]につき, そこで田中清玄に会わされた…[紺野が党中央への批判的な意見を述べ若干のやりとりの後]…[田中は]これから田代文久同志を責任者として東京地方の党再建活動をするようにと私の任務を決めた


田中は[1929年]4.16弾圧の後, 佐野博らと党再建をやり始め, 和歌浦会議[*2]を官憲におそわれ, 東京にのがれてきた直後であった. 佐野博のことをよく話し, 前納善四郎のことを非難して前納に裏切られたとののしっていた

官憲資料で当時の党中央の構成を確認しておくと

……
日本共産党組織表(1930年4月検挙迄の現在)


中央委員


田中清玄
佐野 博
前納善四郎
斎藤 武
阿部義美


東京地方委員会


委員長 斎藤 武


復刻版 内務省警保局『社会運動の状況 2 昭和5年』 付表5-7 三一書房,1971/11/30
……


2月以来の検挙により中央委員は僅に田中清玄一人となり, 同人は残留党員田代文久, 今本文吉(クウトベ卒業本年1月帰国), 岩尾家定(クウトベ卒業本年4月帰国)と連絡とれ, 5月中旬東京府下下高井戸に於て臨時中央ビユーロー及分担を決定したり


委員長 田中清玄(大塩)
委員 岩尾家定(近藤), 今本文吉(桂)


分担


織部…田中
AP, 組合, 青年婦人部…岩尾
技術部…今本(部員), 西村欣次郎
機関紙部…田中, 今本
東京地方責任者…田代文久


其後6月中旬分担を変更す


織部…田中
組合青年婦人部…岩尾
AP部…今本
技術部…上萩原景雄(中央委員候補)[以下略]


内務省警保局『社会運動の状況 2 昭和5年』p.57
……


最初の一段落に登場する5人を人物辞典で調べておこう


私=紺野与次郎


田代文久


田中清玄


佐野博


前納善四郎


……


東京地方委員会


…田代文久同志を委員長とし, 私と当時出獄していた唐沢清八同志ともう一人京浜の日石出身の労働者沼田同志(新潟県人)の四人で東京地方委員会を構成し, 私は今の新宿渋谷港から台東中央方面を担当した


東京市電の争議から, 青山車庫,新宿自動車車庫,浜松町自動車車庫,荒谷町自動車車庫などに党員を増やし, 細胞をつくり, とくに新宿車庫と浜松町車庫にはかなり大きな有力な細胞をつくった. 男の運転士の田村同志などのほかに新宿車庫には婦人車掌の同志として浅沼(北海道に医師の主婦としている由),片山(姉・松尾茂樹同志と結婚), 浜松町車庫に片山(妹・死亡),高木(今港区にいて板金職人の主婦),村瀬(不明)などの活動家がいた


細胞会議をよく洗足池や公園の中や目黒駅に近い崖下の緑陰の中の村瀬宅でした


新たな9人, 姓だけの人物については【A】で東京市電関係者を探してみる


唐沢清八


沼田(新潟県人)


田村運転士


浅沼(新宿車庫)


片山(新宿車庫・姉)⇒【A】II.p.58 片山政子(新宿車庫, 解雇された後に田中清玄のHK, 松尾茂樹と結婚とは書いてないが)


松尾茂樹


片山(浜松町車庫・妹)


高木(浜松町車庫)


村瀬(浜松町車庫)


官憲資料での東京地方委員会の構成
……




再建活動中メーデー直後頃クートベの人たちが数名帰国して連絡してきた. これは8月に開かれる第5回プロフィンテルン大会に日本代表団を送るようにとの連絡であった…6月の或る日私は呼ばれて…田中清玄と岩尾家定同志の二人と会った. 岩尾同志は帰国者の責任者として活動しながらあわせて党中央再建に協力し始め田中清玄に対して批判と助言をはじめたのであった


ここで私は, プロフィンテルン5回大会日本代表団の団長としてモスコウに行くようにと任命された. ……岩尾同志が私の任務について詳しい話をした. とくに日本の党指導部に「極左」的偏向があること, 川崎市の「武装メーデー」事件に典型的にでていること, しかしこの偏向について, いま神田鉄夫のペンネームで自己批判の論文を出して, その克服に着手しはじめたこと, そしてこれをモスコウで報告するようにといわれた. …… 今の阿部嘉子同志の家で, 田中清玄に最後に会って……


この代表団派遣の仕事で, ソ連から帰ってきたのは, 岩尾同志をはじめ, 数名きていた. 「岡本」という丸顔の人, 飯島喜美を連れていった河田という人, もう一人がソ連から帰国後再び会ったのちの松村であった


阿部淑子 岩田義道のHK


ソ連(クウトベ)帰り


岩尾家定(神田徹夫[*3])


「岡本」という丸顔の人


河田


松村=飯塚盈延=スパイM


プロフィンテルン大会参加者[*4]


団長として紺野与次郎


大井昌(金属工・深川鉄工所)


児玉(風間)静子(化学)


飯島喜美(繊維)


白河八郎(船員)


陳(船員)


通訳の蔵原惟人


(全協刷新同盟)南厳

⇒ここまでの登場人物id:dempax:01001109

*1:中本たか子『わが生は苦悩に灼かれて』参照

*2:1930年2月, 中央ビユーロー本拠とされた和歌山県新和歌裏のアジトが襲われ,加藤定吉,清原富士雄,小宮山英子らはピストルを撃って抵抗し, 3人の警官が負傷した. これを端緒に当局は4月1日,中央委員の佐野博を検挙した…絲屋寿雄『日本社会主義運動思想史II』,1980/11/10 p.278

*3:絲屋寿雄『日本社会主義運動思想史II』,1980/11/10 p.295⇒『第二無産者新聞』1930/6/11「ボルシエビーキ党の再建と極左的偏向に対する闘争の急務」

*4:絲屋寿雄『日本社会主義運動思想史II』,1980/11/10 p.301