飛田勘弍「コミンテルンと日本共産党「綱領」問題の史的展開(下)」


運動史研究会『運動史研究No.9』三一書房,1982/2/28 p.99-p.120 飛田勘弍「コミンテルン日本共産党「綱領」問題の史的展開(下)」


第5章 日本における情勢と日本革命の任務(いわゆる32年テーゼ)


(1)作成過程 p.100 飯島喜美への言及あり【31年の秋に入ると具体的な31年テーゼ批判と新テーゼ作成のための動向が見られるようになる. この時期(*a),帰国の途についた飯島喜美はモスクワからの指令を託されていた(*b). それは次のようなものであった(*c)】

(*a)飯島喜美の帰国について, 風間は「1931年8月か9月ごろ」(『「非常時」共産党』151頁), 山岸は満州事変勃発後(『不屈の青春』46頁), 山本正美は「31年秋」(『激動の時代に生きて』54頁), 内務省警保局『社会運動の状況 4』は「10月29日以前」と諸説がある

(*b)風間によれば田中すなわち山本懸蔵であろうと推論している

(*c)風間丈吉『「非常時」共産党三一書房,1976年,152頁