II.天皇制と差別

天皇制への怒り


僕は天皇制について何も言わない奴は信用しない. 天皇制の恐ろしさというか,その天皇制が今日でもなお存在しているということについて,日本人は深く考えるべきだ


1947年に天皇が広島に来た時のことはよく覚えている. 僕は親父から天皇制のことをよく聞かされていたから「この男が僕の親父や一族をむちゃくちゃにしたな」と思うと,怒りが込み上げた. 当日,僕は相生橋の土手で一番前に並んでいた. 黒塗りのフォードに天皇が乗っていた「彼が俺たちをこのようにした,親父を殺したんだ」と思うと,飛びかかっていきたかった. あの衝動はいまだに忘れられない. 教師は「バンザイせえバンザイせえ」と言う「何を言うか」と下駄で瓦の破片を蹴った. それが天皇の乗った車のタイヤに当たって,ぱーんと跳ね返った. あれほど全身が火のように燃えたことはなかった. 本当に「コイツ絞め殺してやるか」という気持ちになった



(浅井)天皇を迎えた広島には,天皇に対する怒りとか憎しみとかいうものがまったくないが,その原因は何だと思いますか


やはり戦前の教育だ. 戦前の教育は本当に日本人を変えてしまった. 僕のように天皇に対して激しい怒りを感じていた人もいたとは思うけれども,そういう人たちは戦争中にみんな獄中死したのではないか. また広島が保守的であるためもあるだろう. 広島は実に保守的という県民性がある. これはどうしょうもない. 変えるということは大変なことだろう


僕は天皇制が絶対に許せないと思っている. 日本人はまだ天皇制を自らの手で裁いていない. 今からでも遅くはない. 日本国民は天皇のために日本列島がどれほど大変なことになったかを考え,根源である天皇制をもっと問い詰めなければいけない



被爆者と差別


(浅井)原爆投下で激減した広島の人口は戦後急速に回復していったこと,その中で被爆者の人口は変わらなかったことから考えると,急速な人口回復を可能にしたのは非被爆者の人口増加と考えられます. 戦後の復興は被爆者を片隅に追いやった上での復興ではなかったでしょうか


そこに差別が生まれたわけだ. 差別が生まれることによって,被爆したことを言えないようにしてしまった. だからその差別が恐ろしい. そういうことに対して抗議の声を上げるということは出来ない. 僕は鷹匠町(今の本川町)に住んでいて近くの娘さんが首をつって死んだとか,そういう話をよく聞いた


僕の知り合いは,東京の女性と結婚して結婚式を東京でやった. そうしたら誰も来ない. 被爆者だといったら危険だという意識がある. そういう意識は権力者にとっては思うつぼだ. 差別ということで物を言わせないということは都合が良い. 被爆者が自己主張しないように押さえつけるのだ


僕は1961年に上京し,お袋が亡くなる時まで原爆に対しては一切目をつぶっていた. 被爆者に対する東京の差別というのはすごい. 仲間内で何気なく広島で原爆を受けたと言うと,異常な顔をされた. あんな冷たい目を見たことがない. これはおかしい,と思ったのだが,被団協の人にそのことを話したら,東京の人は「広島で原爆を受けた」と言ったら,放射能が「うつる」からその人の湯飲み茶碗を持とうとしないし,そばによろうとしない. そういう無知な人が多い,と説明された. そう言われて初めて合点がいった「ああそういうことなのか」と. そして二度と原爆のことは言うまい,と思っていた



原爆に関する漫画を書くに至った契機


'61年に上京して'66年にお袋が亡くなるまでは,黙って東京で骨を埋めようという感覚だった. しかしお袋が死んだ時に,お袋がいるから何とかやってこられたんだと思った. そのお袋が死んだということはすごいショックで,それで広島に帰った


僕は親父や弟の骨も掘り出しているから,人間が焼かれたらどういう状態で出てくるかということについては想像がつく. ところがお袋の場合は白い破片が点々としているだけ. その時,放射能という奴は骨の髄まで奪っていくのか,大事なお袋の骨まで取っていきやがったか,とものすごい怒りがわいた. 大事なお袋の骨を返せという怒りが一気にわいてきた. そして,僕には漫画しかないから,漫画でやってやろうと思ったのだ



広島への思い


広島には10年前までは絶対に寄りつかなかった. 広島の町を見ると,思い出したくない過去のことをすごく思い出すのだ. 例えば,川を見ていると,累々たる白骨が思い浮かぶ. 町を歩くとああだった,こうだった,ということがよみがえるのだ. 死体の臭気を思い出すとやりきれない. あの臭気というのは言葉では表現出来ない. だから,広島には寄りつきたくないという感覚があった. しかし,恩師がいるしその誕生祝いに同級生も集まる. やはり広島はいいな,と思うようになった. 時代が生々しい記憶を押し流してくれたのだろう. そのうち広島で骨を埋めるつもりだ


広島人というのは実に保守的だと思う. 広島の保守的なところは変えなくてはならない. 変わるためには,各個人がこつこつとやっていくほかにはない. 僕は漫画家だから漫画を武器にして戦う以外にない. 各ポジションにいる人が各ポジションで訴えていくほかないないのではないか. 広島の保守性は変わらないという否定的な気持ちは強いけれども,可能性を生み出す気持ちを持ち,自分を鼓舞するのだ. 広島もアウシュビッツのように人間の尊厳をもっともっとうたい上げていかなければならないと強く思っている


- 2007/08/20 -