失くした二つのリンゴ/日本と中国のはざまで 長谷川テルが遺したもの

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2008/02/11 10:30-11:25(テレビ朝日OA)中国放送制作 全国の放送日時

1937年(昭和12年)一人の日本人女性がタイプライターを抱え,中国人の夫を追って横浜港から中国・上海へ向かいました. その3ヵ月後に北京郊外・盧溝橋で日本軍と中国軍が衝突. 日中戦争の火蓋が切って落とされます.


彼女の名前は長谷川テル(1912〜1947)当時の満州国の官費留学生として東京に留学していた夫・劉仁(1910〜1947)と共に中国での抗日運動に身を投じ,戦場の日本兵に向けて戦争をやめるよう訴え続けました. 当時の日本の軍部とマスコミは彼女を「嬌声の売国奴」と名指しで糾弾しますが,テルは「お望みとあらばそう呼んで頂いて結構です」と毅然と答えます. その一方で,自分が行った放送で日本の家族がどんな恐ろしい目に遭うのか,もう二度と祖国に帰ることは出来ないだろうと苦悩します.


日本が,日本人が,戦争に呑みこまれていった時代. 「私は女性として人間として本能的に平和を求めます」と反戦と平和への願いを発信し続けた長谷川テル. 志半ばの35歳で,二人の幼い子どもと夫,そして日本の家族と祖国の将来に思いを残して亡くなりました.


番組では,波乱に満ちた中国での生活を経て日本に帰化したテルの遺児,長谷川暁子さんの目を通して,テルの人生に迫っていきます. 60年前,時代に抗ったことで,自分にも家族にも大きな傷を残して逝った母. 日本と中国,二つの祖国を持つ娘は母の魂をいま静かに抱きしめます. 長谷川テルが今の時代に遺したものは何だったのでしょうか.


ナレーション:吉行和子さん



【出典:財団法人 民間放送教育協会HP http://www.minkyo.or.jp/01/2008/01/002222.html


テレビ朝日:2008年2月11日(月・祝)午前10時30分〜11時25分 放送

RCCテレビ:2008年2月11日(月・祝) 午後2時00分〜2時55分 放送

民教協加盟33局放送日時 http://www.rcc-tv.jp/08ringo2.htm

日中戦争前夜,自らの意思で中国に渡り,中国戦線の日本兵に向けて,ラジオ放送で戦争を止めるように訴えかけた一人の女性がいます. 国際エスペランティスト,長谷川テル(1912〜1947)です.


テルの行動は,当時の新聞で「売国奴」と名指しで報道されました.


民族のしがらみを越えて,自分の信念で,祖国に対峙した長谷川テル.


二つの国の間で苦悩しながら,故郷を思いながら極寒の中国東北部で34歳の若さで亡くなりました.


長谷川テルについては,日中国交回復を記念して1980年に,杉村春子の語り,栗原小巻主演の,初の日中合作ドラマ「望郷の星〜テルの青春」として放送されました. 今回は四半世紀ぶりに初めてのドキュメンタリー作品として制作放送するものです.


番組では,その足跡をテルの遺児である娘,暁子が辿ります.


暁子は0歳のときに両親と死に別れ,中国で孤児として育ちました. 日中国交回復後,初めて日本を訪れ,1993年に国籍を取得しました.


激動の時代を生きた母と娘,その二人の女性の生き方から,人生の切なさ,そして平和の尊さを,静かに語りかけるヒューマンドキュメンタリーです.


8月に2週間の中国取材を行いました. 上海,南京,武漢,重慶,北京,そして中国東北部ハルビン,ジャムス(黒龍江省)の七都市に及び,取材の様子は,現地の新聞,テレビなどにも取り上げられました.


戦争によって引き裂かれた絆をつなぐメッセージを広島から全国発信します.

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長谷川テル(1912〜1947)

中国では教科書にも登場する著名な「国際主義戦士」「革命烈士」で,革命記念館に紹介コーナーが設けられたり,絵葉書になったり京劇の主人公として描かれたり,中国・中央電視台が戦後60年特集で製作した番組のテーマに取り上げられるなど,歴史的人物として扱われています.


一方日本では,時代に抗ったことで「売国奴」「非国民」のレッテルを貼られます. 今もほとんど知られていない,埋もれた存在なのです.


日中戦争前夜,自らの意思で中国に渡り平和活動に身を投じた国際エスペランティストで,日本の「中国侵略」をペンで鋭く世界に報道するとともに,戦争を止めるよう中国戦線の日本兵に向けてラジオ放送で訴えかけました.


当時の都新聞に「矯正の売国奴」と名指しで報道されましたが,「お望みとあれば,どうぞ私を売国奴と呼んでくださっても結構です. 私はこれっぽっちもおそれはしません. むしろ,私は他民族の国土を侵略するばかりか,なんの罪もない無力な難民の上に,この世の地獄を現出させて平然としている人々と同じ民族の一人であることを恥とします. ほんとうの愛国主義は,人類の進化とけっして対立するものではありません」と毅然と語りかけました.


その強さ,烈しさの反面,素顔は繊細で,文学や音楽,小さな日常の営み,そして祖国日本を愛する心豊かな女性でした. 志半ば34歳で亡くなります. 60年前の1月10日,二人の幼い子供と夫,そして日本の家族と祖国の将来に思いを残してのことでした.



劉仁(1910〜1947)

テルの夫.


当時の満州国遼寧省)出身で,東京高等師範学校に留学中にエスペラントを通してテルと出会います.



長谷川暁子(中国名・劉暁嵐,62歳)

テル・劉仁夫妻の長女. 0歳のとき両親が病死. 中国・ハルピンの孤児院などを転々として育ち,文化大革命など中国の現代史を生き抜きます. 1979年初来日. 現在帰化し,京都在住. 同志社大学講師を務めます.


昭和22年,母親のテルが命を落としたのは妊娠中絶手術の失敗が原因でした. 3か月後,病弱だった夫・劉仁も後を追うように他界します. わずか1歳で両親を失った暁子さんは,革命烈士の子供として中国共産党の施設にあずけられ,少女時代を送ります. その後も官費で学生生活を過ごしますが,1969年に始まった文化大革命の嵐が暁子さんを襲います.


当時の苦難について,暁子さんはこれまで多くを語ろうとはしませんでした. それどころか,母親・テルについて語ることにも抵抗があったようです. 「母は母,自分は自分」という思いが強かったのです. そんな暁子さんが,今やっと心を開くようになってきています. 中国での暮らし,そして母への思いを素直に吐露するようになってきたのです.


暁子さんのとつとつとした言葉は,私たちの胸に重く響きます.
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◆制作 中国放送

◆構成 菊池豊(日本放送作家協会会員)

◆プロデューサー 柏原清純(中国放送) 秋元隆(民教協)

◆ディレクター 尾崎祈美子(中国放送)


【ナレーション】吉行和子



【出典:RCCテレビ第22回民教協スペシャル≪失くした二つのリンゴ/日本と中国のはざまで≫ http://www.rcc-tv.jp/08ringo.htm

「誤って血を流してはなりません. あなた方の敵は海を越えたこちら側にはいないのですから」.


マイクに向かうその心には,平和への強い願いと,日本に残してきた家族の身を案じる苦悩とに満ちていました.


「失くした二つのリンゴ」は,そんな日々のなか,長谷川テルが病床で書いた,長編詩のタイトルです. 詩句には,祖国から裏切り者扱いされながらも中国大陸で抗日運動に関わったテルが,日本を思い,母親を思う痛切な叫びがあふれています.


「リンゴ」は幼子の赤いほっぺたの意味. 愛する夫の国である中国で,愛する祖国の兵隊たちが,幼い子どもたちを殺している. それをつぶさに見て知った以上,たとえ「売国奴」と呼ばれても,タイプライターやマイクに向かい,その実情を発信せずにはいられなかったテル.


タイトルには,人々が戦争の大波に飲み込まれていった時代,二つの国のはざまで引き裂かれながら,平和を求めて,短くも懸命に生きた,ある日本人女性の真実が込められています.

    「英ちゃん(中国でのテルのもう一つの名が緑川英子だった)」
    突然母は今まで聞いたこともないような,厳しい声で私を呼んだ.
    「私が折角お前にあげた二つのリンゴ(赤いほっぺた)はどうして見えなくなってしまったの」
    「それは,お母さん…」
    私は悲しく自分の蒼白い頬を押さえた.
    上海の時はリンゴはまだあったのよ. それからはお母さんもご存知のように,広州にも,漢口にも,重慶にも,どこにもリンゴはなかったから,とうとう私は自分のリンゴを食べてしまったの.


母親からもらった二つのリンゴを失くしてしまったテル. しかし,あなたからもらった「誇り」だけは失くしてはいないと訴えます. たしかにリンゴは失くしてしまったけれど,それは仕方のないこと,許して欲しい. こんな一節もあります.


    母よ!母よ!
    でも,私はあなただけの者ではない.
    この残酷な戦争の中で,
    涙と呻吟と呪いの暴風雨の中で,
    こっそりと自分だけの小さな幸せにひたることはできない.


そして長編詩はこんな言葉で終わります.


    でも,母よ,
    たとえあなたの娘が,
    大事にしていた二つのリンゴを永遠に失くしてしまっても,
    叱らないで欲しい.
    愛する母よ,見ておくれ,
    そのリンゴは,中国大陸で,日本で,世界各国で,
    綺麗な赤い,赤いリンゴを永遠に実らせるために,
    先に落ちてしまった無数のリンゴの中の
    二つに過ぎないのだ.
    (「失くした二つのリンゴ」一部抜粋. 原文・エスペラント. 1939年発表)



そして私たちはこんな思いにかられます.


    「果たして長谷川テルの失くしたリンゴは,今,綺麗な実をつけているのだろうか」


【出典:タイトル 二つのリンゴとは? http://www.rcc-tv.jp/08ringo3.htm