新刊案内

デイヴィッド・ピース/酒井武志訳『Tokyo Year Zero』(文藝春秋社) http://www.bunshun.co.jp/book_db/3/26/42/9784163264202.shtml isbn:9784163264202 三部作の第1作=舞台は1946年の東京. 内容は小平義男事件*1,中国での戦争と空襲の記憶,憲兵公職追放[からの回避]など盛り沢山. 続巻では帝銀事件,次に下山事件が扱われる. 2009年秋完結予定とのこと.


石田勇治編著『ふくろうの本/世界の歴史 図説ドイツの歴史』(ISBN:9784309761053 河出書房新社 2007/10/23予定) http://www.kawade.co.jp/np/isbn/9784309761053 isbn:9784309761053


太平洋戦争研究会編 森山康平著『証言・南京事件三光作戦』(河出文庫 ISBN:9784309408767 2007/11/06予定) http://www.kawade.co.jp/np/isbn/9784309408767 isbn:9784309408767


笙野頼子『だいにっほん,ろんちくおげれつ記』講談社?新刊案内にみつからない. http://shop.kodansha.jp/bc2_bc/sinkan_list_x.jsp?x=B



『世界2007/11月号』pp.282 多和田葉子の文章(2007/09/10付)より抜粋

この間,映画「硫黄島からの手紙」を見ました. もうご覧になりましたか. 見ていて一番気がめいったのは,もうだめだということになった時に,兵隊たちが次々自殺していく場面でした.(こういう場合はあまり「自殺」とは言わないようですが,「自決」という言葉は,自殺する意志と勇気を賞賛しているように聞えるので避けました.)もし中国戦線などを撮った映画だったら,兵隊が現地の人を殺していく場面で一番気が重くなったと思いますが,この映画では,死が一番全面に出てくるのは自殺の場面です. 昔のわたしなら遠い過去の出来事のように感じたと思うのですが,今回は違いました. ここ数年,日本文化にひそむ自殺という残虐性が気になっているせいです.

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いじめについての本など読んでいると,「自分がいじめられていることを親や先生に話すくらいなら死んでしまった方がいい」と考える子供も多いようですが,それはなぜなのでしょう. 今の子はわからないと愚痴を言っているのではなく,わたしの中にもそういう考え方があるような気がしてどきっとするのです. 恥をかくくらいなら消えてしまいたい. というような,また,失業したから一家で死んだとか,仕事で失敗したから責任をとって死んだという記事も目にします.


日本の自殺について90年代にてきぱきと書いたのが柳美里の「自殺」だったと思いますが,その中に「人間は尊厳を守るために自殺する」という一節があります. もし人間の尊厳というものがあるとしたら,それは狭い範囲の人間関係,家族やクラスまたは会社の友達だけがそれを壊すことはできないはずです. わたしが子供たちに読書を薦めるのは,世界が広がれば,狭い人間関係の奴隷にならなくてすむからです.


尊厳を守りたいのならばそれをせめて二万語くらいの言葉を組み合わせて,まず口で抗議してほしいと思うのです. 言語の豊かさへの嫌悪,貧しい言語に遺書というかたちでしか重みを与えられない無力さ,黙って死ぬことへの賛美などが日本語を縛っているような気がします.

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自殺とは,誇りを持って,あるいは絶望して,あるいは虚無感に身を任せて,個人が命を絶つことではないようです.自殺は生というより性の表現形態の一つで,演劇的要素が強く,個人ではなく複数の人間のできごとであるということです. みんなに殺されると言ってもいいかもしれません.


共同体が生き残るために一人が死ぬ,というお話はよくありますね. [snip] 親は泣いても,本人は逃げも逆らいもしないで「親のため,みんなのため」と言って死んでいく. そうすると,この女の子は自ら我が身を犠牲にしてみんなを救ったということになり,殺した側の法的な責任は出てこないわけです. でもその子には断ることは可能だったでしょうか.


特攻隊についても「まだ子供だった彼らは強制されて死んでいった」という意見に対して,「年齢は関係ない,彼らは国のために自分の意志で死んでいったのだ」と反論している人がいるようですが,この「自分の意志」というあたりに大変な問題があるようです. [以下,省略]

*1:詳しくは平岡正明『日本人は中国で何をしたか』潮出版 付論参照