石美喩 証言

判決文に箇条書きや色付け強調の整理を加えた版を作り始めたのだが, editorの調子が悪く吹っ飛んでしまった. でかわりに海賊版.



和多田進『編集現場でルポルタージュを考える』(1985/03/01 晩聲社 http://www.banseisha.jp/ \1300)p.150-p.159 ≪デマゴギーを育てた鈴木明氏の「取材」を取材する≫(初出: 朝日ジャーナル 1984/09/28号)より抜書き*1.



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70年安保を前にして, 69年夏に文藝春秋社から創刊された『諸君!』(田中健五編集長)は, この「まぼろし化工作」の主要な舞台でありました. これから述べようとする南京事件は, いまや正体が暴露されてしまったにせユダヤイザヤ・ベンダサン氏や鈴木明氏の手によって「工作」にさらされました. その後, 沖縄渡嘉敷島の集団自決事件は曽野綾子氏によって「まぼろし化」されようとしました. また, 広津和郎氏の松川裁判批判も例のユダヤ人によって「工作」されました. 憲法や戦後史, 当時の美濃部革新都知事, 日本共産党, 言論の自由, 反公害の市民運動……. ならべればきりがないほどの分野のものが, 手をかえ品をかえてこの「工作」にさらされました. その意味では, これは一種新手の宣撫工作でした.


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ともかく, そんな背景の中で登場した鈴木明氏の『「南京大虐殺」のまぼろし』とは, いったいどの程度のルポルタージュなのかを見てみることにしましょう. なにしろ大宅賞の選者は「現代ジャーナリズムに一つの反省を促す貴重な礎石となるであろう」(扇谷正造氏)とか「『同時代を見渡す』ための"眼"の率直さと"作業"の的確さに, 今更ながら共感し, 賞賛せずには居られない」(草柳大蔵氏・文庫版解説)とかと絶賛しているのです. そればかりか, 教科書検定の調査官は, 鈴木氏のこのルポを根拠のひとつにして修正意見を述べています. つまり, 体制側にはつとに評価の高いルポということになりましょう.


私は『「南京大虐殺」のまぼろし』が単行本になって発売された1973年に台湾に行って鈴木氏の本にも出てくる石美喩氏(南京裁判の判事のひとり)にインタビューしました. 石氏のほか, 『還俗記』という著書をもつ元軍人, 鈕先銘氏にも会って, 南京陥落当時の話を聞きました.


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私の通訳には, 台湾政府の新聞司の人が当ってくれました. 台湾生まれの人でしたが, 上海なまりがひどいと鈴木氏がいう石氏との会話に, なんの不自由もありませんでした. 石氏の話によって, 鈴木氏が身元をごまかし, 取材目的も告げずに会っていることがわかりました. これではインタビューは成立しないはずです. 石氏の事務所での小1時間ほどのインタビューにおける石氏の発言を要約して書けば以下のようになります.


  1. 私はいま65歳ですが, かつて南京裁判の際, 5人の裁判官のうちの一人でした. 27歳当時, 私は上海裁判所の判事でもありました.
  2. 私は1948年に蒋介石から私がやった裁判の功績をたたえられて表彰されました.
  3. 南京裁判は, 裁かれる人間の地位・階級には関係なく, 事実によって処理されました. 確証に重点をおき, 証拠があって逃れようのない者だけを有罪にしました.
  4. 死体を埋めた「万人塚」という場所を私自身が現場検証もしました.
  5. 鈴木明という日本人を私は知りません. 『「南京大虐殺」のまぼろし』という本も私は読んでいません.
  6. 昨年(1972), 向井か野田の息子の友人だという人物か, 息子本人か, 詳しいことは忘れたが, そういう日本人が私を訪ねてきたことは記憶しています.
  7. 野田と向井のことについていえば, 罪のない者はすべて帰して, この二人が残ったということです. 二人は自分たちの手柄について本を書き, その本に写真も載せていた. 戦時中に書いたこの本が東京で発見され, マッカーサー司令部に駐在していた中国人がそれを報告してきたのです.
  8. 証拠がなければ無罪にしたが, 証拠は十分であった. 日本は, 一度復員して帰国していた二人をわれわれに引き渡したのだということを忘れないでください.
  9. 裁判の際, 私は彼らの本に載っていた写真を示して, 「これはおまえか」と聞きました. 彼らはこの問いを否定できなかったのです.
  10. 殺人については彼らは否定しました. 戦争だから人を殺すのは仕方ないのだと二人は主張しました.
  11. 二人は夫子廟までの間に「百人斬り」競争をしたと記憶するが, これは明らかに戦争の範囲を逸脱していました.
  12. 裁判で明らかになったことのひとつは, 「百人斬り」競争に際して, 二人はブランデーを賭けていたということです.
  13. 二人の家族にも言ってもらいたいことだが, 中国人はこの戦争でおそらく 1000万人も死んでいるだろうということだ. もし証拠がなくても処刑できるのだということになれば, 日本の軍人はすべて処刑しなければならないということになるだろう. しかし, われわれは報復主義はとらなかったということです.
  14. 昨年私を訪ねてきた息子の友人だという日本人は,「二人は無実だ」と言った. しかし, 証拠はあったのだ. 南京裁判の全記録をまとめることになっていたが, 共産軍の反乱があってそれをまとめることができなかった.


もうこのくらいでよいだろうと思います. 通訳もきちんと用意せずに台湾まで出かけ, 南京事件を「まぼろし」にしようというのですから, 大変な度胸というほかはないと思います. こういう人物が 「現代ジャーナリズムに一つの反省を促す貴重な礎石」(扇谷氏)になられてはたまらないと思うのは私だけではありますまい.


実は, 台湾には南京事件当時を語ることができる元軍人がまだ何人も生存しているのです. 鈴木氏は, 台湾に四日間も滞在して石裁判官にしか会っていないのでしょうか. もし本当に南京事件の真相, 「百人斬り」の真相を究明したかったのなら, そうした元軍人たちに対する取材こそ不可欠だったのではないかと思うのです. 「過去現在のマスコミのあり方に対」して怒る(あとがき)のは結構ですが, ごく普通のマスコミやジャーナリストならばこの程度の取材は常識なのです.


[ 以下, 省略 ]
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*1:原文, 漢数字をアラビア数字に改め, 原注は省略した