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2005/03/30 愛国心について ほか


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海野十三敗戦日記 「断腸亭日乗」からみる青い空(その 2) 2005年03月10日 http://palm.nishinari.or.jp/?%A4%C6%A4%CE%A4%EA%A5%AB%A1%BC%A5%C9%2F%BD%BD%C7%AF%B0%EC%EB%B4%2F%B3%A4%CC%EE%BD%BD%BB%B0%C7%D4%C0%EF%C6%FC%B5%AD
日本天変地異記 震災は鯰(なまず)のせいではありません 2005年01月16日 http://palm.nishinari.or.jp/?%A4%C6%A4%CE%A4%EA%A5%AB%A1%BC%A5%C9%2F%BD%BD%C7%AF%B0%EC%EB%B4%2F%C6%FC%CB%DC%C5%B7%CA%D1%C3%CF%B0%DB%B5%AD

青空文庫 作家別作品リスト:No.160 海野 十三 http://www.aozora.gr.jp/index_pages/person160.html



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海野十三敗戦日記 1945年8月より抜書き【http://www.aozora.gr.jp/cards/000160/files/1255_6571.html

八月九日(その二)

◯「今九日午前零時より北満及朝鮮国境をソ連軍が越境し侵入し来り, その飛行機は満州及朝鮮に入り分散銃撃を加えた. わが軍は目下自衛のため, 交戦中なり」とラジオ放送が伝えた.

ああ久しいかな懸案状態の日ソ関係, 遂に此処に至る. それと知って, 私は五分ばかり頭がふらついた. もうこれ以上の悪事態は起こり得ない. これはいよいよぼやぼやしていられないぞという緊張感がしめつける.

この大国難に最も御苦しみなされているのは, 天皇陛下であらせられるだろう.

果して負けるか? 負けないか?

わが家族よ!

一家の長として, お前たちの生命を保護するの大任をこれまで長く且ついろいろと苦しみながら遂行して来たが, 今やお前たちに対する安全保証の任を抛棄するの已(や)むなきに至った.

おん身らは, 死生を超越せねばならなくなったのだ. だが感傷的になるまい. お互いに…….

われら斃(たお)れた後に, 日本亡ぶか, 興るか, その何れかに決まるであろうが, 興れば本懐この上なし, たとえ亡ぶともわが日本民族の紀元二千六百五年の潔ぎよき最期は後世誰かが取上げてくれるであろうし, そして, それがまた日本民族の再起復興となり, われら幽界に浮沈せる者を清らかにして安らかな祠(ほこら)に迎えてくれる事になるかもしれないのである.

此の期に至って, 後世人に嗤(わら)わるるような見ぐるしき最期は遂げまい.

わが祖先の諸霊よ! われらの上に来りて倶(とも)に戦い, 共に衛(まも)り給え. われら一家七名の者に, 無限不尽の力を与え給わんことを!


◯ 夕刻七時のニュース放送. 「ソ連モロトフ人民委員は昨夜モスクワ駐在の佐藤大使に対し, ソ連は九日より対日戦闘状態に入る旨の伝達方を要請した」由. 事はかくして決したのである.

これに対し, わが大本営は, 交戦状態に入りしを伝うるのみにて, 寂(せき)として声なしというか, 静かなる事林の如しというか……

とにかく最悪の事態は遂に来たのである. これも運命であろう. 二千六百年つづいた大日本帝国の首都東京が, 敵を四囲より迎えて, いかに勇戦して果てるか, それを少なくとも途中迄, われらこの目で見られるのである.

最後の御奉公を致さん.

    今日よりは かえり見なくて
     
    大君の 醜(しこ)の御楯(みたて)と
     
    出で立つ われらは


◯ 暢彦が英に聞いている.

「なぜソ連は日本に戦争をしかけて来たの?」

彼らには不可解なことであろう.

ふびんであるが, 致し方なし.


[ …… ]


八月十三日

◯ 朝, 英(※夫人)と相談する. 私としてはいろいろの場合を説明し, いろいろの手段を話した. その結果, やはり一家死ぬと決定した.

私は, 子供達のことを心配した. ところが英のいうのに, かねてその事は言いきかしてあり, 子供たちは一緒に死ぬことにみな得心しているとのことに, 私は愕(おどろ)きもし, ほっとした. そして英からかえって「元気を出しなさいよ」と激励された.

事ここに決まる. 大安心をした.

しかしそうなると, どっと感傷が湧き出るとともに, さらになお, 何かの誤りが責任者の私になきやと反省され, 完全に朗かにはなりきれなかった.

この夜も, よく眠れなかった.


八月十五日

◯ 本日正午, いっさい決まる. (※戦争終結詔勅を放送)恐懼(きょうく)の至りなり. ただ無念.

しかし私は負けたつもりはない. 三千年来磨いてきた日本人は負けたりするものではない.

◯ 今夜一同死ぬつもりなりしが, 忙しくてすっかり疲れ, 家族一同ゆっくりと顔見合わすいとまもなし. よって, 明日は最後の団欒(だんらん)してから, 夜に入りて死のうと思いたり.

くたくたになりて眠る.


八月十六日

◯ 湊君, 間宮君, 倉光君くる. 湊君「大義」を示して, われを諭す.

◯ 死の第二手段, 夜に入るも入手出来ず, 焦慮す. 妻と共に泣く. 明夜こそ, 第三手段にて達せんとす.

◯ 良ちゃん, しきりに働いてくれる.


八月十七日

◯ 昨夜から, 軍神杉本五郎中佐の遺稿「大義」を読みつつあり, 段々と心にしみわたる. 天皇帰一, 「我」を捨て心身を放棄してこそ, 日本人の道. 大楠公が愚策湊川出撃に, かしこみて出陣せる故事を思えとあり, 又楠子桜井駅より帰りしあの処置と情況とを想えとあり. 痛し, 痛し, 又痛し.

◯ 昨夜妻いねず, 夜半に某所へ到らんとす. これを停めたる事あり.

妻に「死を停まれよ」とさとす. さとすはつらし. 死にまさる苦と辱を受けよというにあるなればなり. 妻泣く. そして元気を失う. 正視にたえざるも, 仕方なし. ようやく納得す. われ既に「大義」につく覚悟を持ち居りしなり.