血液型を巡る歴史 [*8]

  • 明治33年(1900)ラントシュタイナーによって, A型およびB型の血液型が発見される.
  • 明治34年(1901)A・Bいずれでもない血液型が発見され, C型と名づけられた.
  • 明治36年(1903)AB型が発見される.
  • 大正5年(1916) 日赤長野支部の医師である原来復と小林栄が, 『医事新報』誌に世界で初めて血液型と性格の関係を示唆した論文「血液ノ類属的構造ニ就イテ」を発表する.
  • 昭和2年(1927) 発見当時にC型とされた血液型は, 国際連盟の専門委員会で「O型」と決議された. 同じ年に, 東京女子高等師範学校(現在のお茶の水女子大)教授の古川竹二が, 『心理学研究』誌に「血液型と気質に関する研究」[*1] という論文を発表したのが実質的なはじまりとされている. その時点までは, 染色体がメンデルの遺伝法則に関係する遺伝物質であるということくらいしかわからなかった.
  • 昭和3年(1928) グリフィッシュ (F.J.Griffith) の動物実験から, DNAが遺伝を担う物質であるらしいことがわかった. ただしこれがはっきりわかったのは, 昭和27年(1952年). 古川学説がだされたときには, ヒトの形質についてはっきり遺伝が確認されていたのは, ABO式血液型と耳垢くらいであった.
  • 昭和7年(1932) 古川竹二三省堂から一般書として『血液型と気質』を出す.
  • 昭和28年(1953) ワトソン(James D.Watson)とクリック(Francis H.C.Crick)がDNAの構造を決定. 遺伝をはじめとする生命科学が大きく進展したのはこのときからである.
  • 昭和29年(1954) ドーセ(Dausset Jean)によってHLAが発見された.
  • 昭和46年(1971) 能見正比古の「血液型でわかる相性」が, 30万部を超えるベストセラーとなった.
  • 昭和50年(1975) 真菌の代謝産物から免疫抑制剤が開発され新たな臓器移植が到来. HLAが注目される.
  • 平成13年(2001) フジテレビ「最強運芸能人決定戦」スタート. 星座, 十二支と組み合わせて576通りの組み合わせを作り, かなりピンポイントな占いを提供.

*1:引用者追記 「…… 日本軍なども血液型を部隊の編成に取り入れようとしたほどである. 海外でも評価されたこの古川学説だが, 現代の血液型性格判断と違って, 学術論文として公表され, 具体的データや分析法がはっきりと示されていた […snip…] この論文にもとづいて医学や教育学, 軍などの専門家が徹底的に検討し, 実に 300以上の研究が行われたのである. そして最終的に古川説は支持されず, 消え去る運命となってしまった ……」菊池聡平凡社新書28 超常現象の心理学 - 人はなぜオカルトにひかれるのか』p.112