布施辰治 関連りんく集

■ 布施辰治の図書室 http://fuse3.hp.infoseek.co.jp/

【『日本人シンドラー布施辰治』より】日本帝国時代のほとんどの日本法曹人達が帝国主義の先兵としての役割を果たしたのに対し, 布施弁護士は朝鮮の民衆が植民地暴政下で経験する苦痛に, より大きな関心を示しました. 従って, 朝鮮独立運動史の様々なところに彼の努力が見られるのですが, 韓国内では彼についてほとんど知られていません. 2000年3.1独立万歳運動記念日を迎えて朝鮮人に格別な愛情を持っていた布施辰治の行跡を韓国と日本で同時取材しました.

1923年9月1日東京を中心とした日本の関東地方で大地震が発生しました. 被害規模も大きく, およそ24万人の死亡者が発生し, 38万の住宅が失われるなど歴史上例のない大惨事でした. 都市はあっという間に修羅場になりました.

このような混乱の中で朝鮮人が日本人に虐殺される事件が起こりました. 犠牲になった朝鮮人の数はなんと6千人, では彼らが殺害された理由はなんだったのでしょうか.

キムヨンボム教授 デグ大学 歴史学

地震が起きて日本人が大きな不安と心理的恐慌に陥った時, 一種の噂が広がったのです. この地震をチャンスに朝鮮人が井戸に毒をまいたとか, 束になって暴動を起こし日本人を殺そうとしているという根拠のない噂, つまりデマが広がって日本人の武装グループが無差別に朝鮮人を殺害したのです”

暴動陰謀説が広がる中で数多い朝鮮人がいわば, 日本人自警団によって殺されたのです. それは在日朝鮮人を襲った二重の災難で, 彼らにとって関東大震災は天災ではなく人災だったのです.

森正先生コメント(1)

“こういうデマは当時の警視庁からですね. 流されたんだというのがですね. 今, 日本の歴史学者の間では大体定説になっているんじゃないですかね. ”ところでその凄まじい大虐殺の現場に日本人の弁護士布施辰治がその姿を現します.

森正先生コメント(2)

“大きなオートバイ, サイドカーですか. そこに乗ってですね. あの混乱の中を運転手に“あっち行け, ごっち行け”言ってですね. あの東京中を回って, そして震災に紛れて警察が悪いことをしているかどうかとか, “自分の家に来たらなんか食べ物あるよ”とかですね. 一生懸命あの被害に会った人達に“頑張れ”というアピールというか…. ”

布施辰治の娘が書いた記録によると, 関東大震災の後, 朝鮮人を始めとした大勢の被災者達が彼の家を訪ね, 布施は食べ物を提供するなど積極的に彼らを助けたといいます. そして布施は特に朝鮮人大虐殺に非常に怒りました.

“考えれば考えるほどあまりにも残酷な悲劇です. 朝鮮同胞の6千人は殺害されました. 彼らの魂は死んでも死にきれない無念さでいっぱいです”(布施の関東大震災被災同胞追悼会演説より).

彼の悲しみと怒りはそこでとどまることなく, 直接謝罪原稿まで書いて朝鮮の新聞社に送りました. 朝鮮人に深く謝罪し, 自分の祖国である日本を激しく非難した布施辰治. しかし, 朝鮮民衆のための彼の活躍は始まったばかりだったのです.

3.1独立運動が失敗におわり, 非暴力独立運動に限界を感じた反日闘士達は1919年満州武装テロ団体の義烈団を結成します. これによって日本がテロに敏感になっていた1923年, ‘上海爆弾事件は無政府主義者達の大陰謀だ’という記事が日刊紙に大きく書かれます. そして, その主謀者として当時日本で無政府主義運動をやっていた朴烈と恋人の金子文子の名前が挙げられます. 彼らの拘束はおかしなことに関東大震災がきっかけだったのです. 地震発生の二日後の1923年9月3日東京警視庁は朴烈と金子らを連行します. 激怒した日本人から保護するという理由でした.


■ 図書の譜:明治大学図書館紀要 No. 2 (1998年3月18日) http://www.lib.meiji.ac.jp/serials/kiyou/no2/

  1. はじめに http://www.lib.meiji.ac.jp/serials/kiyou/no2/Efusekai/node1.html
  2. 布施辰治略伝 http://www.lib.meiji.ac.jp/serials/kiyou/no2/Efusekai/node2.html
  3. 明治法律学校時代 http://www.lib.meiji.ac.jp/serials/kiyou/no2/Efusekai/node3.html
  4. 布施辰治旧蔵書と弁護関係資料の受贈 http://www.lib.meiji.ac.jp/serials/kiyou/no2/Efusekai/node4.html
  5. 明治大学所蔵以外の布施辰治旧蔵資料 http://www.lib.meiji.ac.jp/serials/kiyou/no2/Efusekai/node5.html
  6. 布施辰治研究の今後 http://www.lib.meiji.ac.jp/serials/kiyou/no2/Efusekai/node6.html
  7. おわりに http://www.lib.meiji.ac.jp/serials/kiyou/no2/Efusekai/node7.html
  8. About this document ... http://www.lib.meiji.ac.jp/serials/kiyou/no2/Efusekai/node8.html

布施辰治研究の意義を森が提示しているのでこれを紹介しよう. 布施が本格的に研究されてこなかった原因の一つとして「司法分野での裁判・人権闘争, それを担った弁護士や支援者らについての動態的な研究が, これまできわめて不十分であった」ことをあげ「『日本人権史』に研究の鍬が入れば, 近・現代史において布施の占める位置の重さがクローズ・アップされるはずである」と述べている. そして, 布施辰治研究の現代的な意義について二つあげている. 一つは「布施の事績を, 東アジアの近現代史のなかで捉えたさいに浮かび上がる研究の現代的意義である」. 布施と中国人・朝鮮人との出会いは明治法律学校に在学中のことであり, その後弁護士開業直後の中国渡航計画(急病で挫折), 日本の朝鮮併合批判, 弁護活動のための台湾・朝鮮渡航, 戦前・戦後をとおしての在日朝鮮人の救援活動, 敗戦直後の「朝鮮建国憲法草案私稿」の公表と活動は継続している. 布施は「異民族を同じ仲間だと意識し, 弁護活動を中心に身体を張ってたたかった [snip] 第二は「日本法曹史のなかで捉えたさいの布施研究の現代的意義である」. 戦前・戦後をとおして法曹が国民の人権にどのように関わってきたかを問うことが必要である. 布施辰治は自らが「被告」として, 弁護士懲戒裁判, 新聞紙法違反, 郵便法違反, 治安維持法違反, の裁判を一〇年にわたりたたかい, この間, 拘留・入獄は二年半に及んでいる. このことは, 国民の人権を守る弁護士の自治擁護の点からも検討する意義がある. 布施は弁護士を自らの適材適所, 天職と考えている. 布施の生涯を研究対象としたとき弁護士・布施辰治が大きなテーマとなる. しかし, 布施は弁護士という範疇を大きく越える存在である. 借家人同盟の運動は現代の消費者運動に通じるものを持っている. 社会運動家としての布施の研究も待たれるところである. 森の言うように, 広く民主主義運動全体を捉える視点に立った布施辰治研究が必要である. 【布施辰治研究の今後 http://www.lib.meiji.ac.jp/serials/kiyou/no2/Efusekai/node6.html


■ 弁護士布施辰治顕彰会 - 人権擁護の先駆者 布施辰治 弱者救済に捧げた一生 http://ww51.et.tiki.ne.jp/~wada/


自由法曹団 http://www.jlaf.jp/index.html


国会図書館 日本国憲法の誕生 http://www.ndl.go.jp/constitution/index.html


■ BFreeな日々 http://www.a-ok.ne.jp/~haguregumo/article.htm


■ ネットジャーナル「Q」 http://www2u.biglobe.ne.jp/~akiyama/


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