女子挺身隊


太平洋戦争後期に行われた女子の勤労動員をさす. 戦争による労働力の不足を埋めるために女子の徴用は昭和14年(1939)ごろから考慮され種種調査もされていたが家族制度下の家の精神にもとるため実現がのばされていた. 18年2月厚生大臣小泉親彦が「女子の徴用不必要」と言明しながら(1943年)4月「女子勤労動員促進」閣議決定され9月17職種(事務補助から鉄道出札係・車掌まで)の男子就業が禁止され,未婚女子の組織化が立案され宣伝が行われた. 東条英機首相は「勤労を逃げる有閑娘, 婦道に恥じよ」と発言し,ついに19年(1944年)1月19日, 女子挺身隊が結成された. (1944年)3月挺身隊制度強化の要綱が発表され,地域,職域,学校別に隊が組織され,さらに8月これらを義務化する法制が定まり(女子挺身勤労令)20歳から40歳の未婚女子の職場進出が強制された,しかし「家庭の根軸たる者を除」くとされ動員ははかどらず,作業の事故も多く効果はあがらなかった. 終戦時の隊員数は47万とされている



【参考文献】


□三井礼子編『現代婦人運動史年表』


丸岡秀子他編『日本婦人問題資料集成』



【執筆】 井手 文子



【関連用語】朝鮮人強制連行問題, 勤労動員, 学徒勤労動員